自分事と他人事
昨年、吹上浜沖洋上風力発電の件で
感想や所見などいろいろ聞きたいなと思い
とある知り合いにコンタクトをとった。
(というか、友人ヅテでとってもらった)
私は、その知り合いともう長いこと会っておらず連絡先を知らなかったが
過去の記憶を隅々までひっくり返した時
「あの人なら、表層の問題ではなく本質に近い話ができるのではないか」
と思ったのだ。
忙しい友人らに無理を言ってお願いして
入口を作ってもらったが
結果、私の伝え方が悪かったため
うまくいかなかった。
友人らに申し訳ないことをしてしまった。
その人にも、時間を割かせてしまった。
ただひたすら、ごめんなさい。
ただ、その人からはひしひしと
「吹上浜沖洋上風力発電について、明確な他人事だと思っている」ことが、にじみ出ていた。
全てが輪っかなのだと実感できないのか、していないのか
どちらも大きく違うんだが、相手に実感がないことは分かった。
責めているわけでもなく、批判しているわけでもなく
「そうか、そういう感覚なのか」と、気づかせてもらった。
土地に縛られるということは、そういうことなんだろう。
(縛られると感じるのか、安定と感じるのかでも差はあるが)
他人事なのか自分事なのか、イメージ力が問われると思う。
でも、恐らく他人事だと思っている人が多いので
私がすべきことについて、考える機会をいただいた。
誰かに意志や意図を伝えるのは、簡単だけど簡単じゃない。
遠い記憶の中の失敗は乗り越えたのに
似たような火傷を負った気分もしたが、
それは錯覚だということも、分かるようになった。
私の意図をきちんと伝えられたなら
あの人は、なんと答えただろうか。
とても聞きたかったが、もう二度と、その機会はないだろう。
知らずに良かったと、それを選んだなら、それが答え。