「カラメル」
作品紹介
2014年10月3日(金)〜7日(火)上演
6(〜9)人芝居 上演時間約90分
十年前、引っ越した町に、鳥子は戻ってきた。
小さな町は姿が変わり、友だちは性格丸くなったし、
自分も気づけばスカートを履いている。
なんだか、ああ、この感じ。なんだろう、この感じ。
鳥子は、置き去りにした過去の自分とみんなに、会いに行く。
忘れものは、まだそこにあるだろうか?
大人になったとか、よく分からないけど、
あったことはなくなったりしないはずだから。
底のほうの見えないところに、見たいつづきが隠れているんだ。たぶんきっと。
脚本を読む
こちらの脚本は一部無料でご覧いただけます。
完全版(有料)はこちら。
映像で観る
外部サイトにて当時の上演映像を有料でご覧いただけます。
(冒頭3分は登録なしで無料で視聴できます)
映像版と脚本上では台詞や演出が異なる部分がございます。
予めご了承ください。
公演写真
裏話とか解説とか
※こちらの項目は内容にネタバレを含むので、気になる方はご注意ください。
人生二度目の演劇作品。
「ぴかぴか」を作る前に、上演する予定もなく趣味で書いた一本をブラッシュアップしたもの。なので作品そのものは処女作、2012年生まれである。
演劇として作る意味のある作品はなんだろうと考えた時、犬のクロと人間のクロの関係性を思いつき、それやりたさに書いた。
「次回公演どうする?」「一応やれる脚本はある」と稽古帰りに劇団員と話していて、「じゃあそれやろう」とすんなり決まった記憶がある。
女の子が男の子を救う話をやりたかった。
ここに掲載するに当たって読み返したら、奇しくも10年前の作品で、結構ジェンダー的にもコンプライアンス的にも古い価値観に基づいているので、今だったらそうは書かないだろうという台詞のオンパレードだった。
けど、内容も台詞も上演時のままで、シーン番号やシーン名的なものがほぼがなかったのでそれだけ追記して公開することにしました。
当時「あそこはどういうこと?」と言われた部分だけ、シーン名でちょっと説明を追加していたりします。
「本当はどうか分からないのだから、決めつけたりせずにちゃんと想像して、その上で本人と答え合わせしよう」ということをずっと言っている作品。
クロは、道端で拾い食いをして死んでしまった祖父母の家のシェパード「じゅう」(平成10年生まれだかららしい)や、小学生の頃実際にいた全然しゃべらない男の子なんかをモデルにキャラクターを造形していきました。
花が好きで、ケンカが強く、傷つきやすくて、思ったことを言うことを恐れている。
鳥子はクロと対照的な性格に。通常キャラクターというものは誰かに影響を受けて行動するはずが、彼女は基本的に自主的かつ能動的に動くので、役者さんは大変だったみたいです。
女の子らしく(というと現代では怒られる)あれないコンプレックスを抱えながらも、だからこそ得られるものも描きたいと思って書きました。ケンカっ早い割に実はあまり腕力がない、というところがクロとのパワーバランスのみそかなと思います。
一太は、いわゆる「一軍」のような男の子。でも大人になってみて、別に大したことなかったんだな、って分かる安心感と一抹の寂しさを描きたかった。そして本人も案外そう思われていたことを知らなくて、知らなかったから自由でいられたのだ、というか。
一緒に遊べれていれば友達、という単純な関係性じゃなくなった大人の世界に疲れてしまっていて、そんなことが分かるようになった彼を鳥子が「つまらなくなった」と言うのは、なかなかシビアだなと思いました。
朝は、初稿の段階では「リサ」という名前でしたが、鳥子との対比を作るために、「あした」と読む男の子っぽい名前に変更しました。親から望まれた性別じゃなかったことへの意趣返しとして、彼女自身が「あさ」と周りに呼ばせています。
本当は男の子っぽいものにも興味がないわけじゃなかった。でも、それを受け入れたら自分で自分の傷を否定してしまうことになる気がする。環境が決めた自分の生き方は本物なのか否か、でもそれも全部ひっくるめて今の自分である、ようなことを体現したキャラクターになったなと思います。
譲は半分この作品の主人公だなと改めて読み返してみて思いました。
でも実際に主人公にはなれないところに悲哀がある。弱いし、ずるいし、卑屈だけど、ちゃんと怒りを持っていて、大人になってようやく、それをぶつける勇気が持てた。自分が強くなったのか、周りが弱くなったのかは、分からないけれど。
上演当時はいじめっこの七星役も譲役の人が兼任していたため、自分で自分を虐めるという不思議な構図になりました。
先生は「ぴかぴか」でみいくん役をやった団員が演じることになったので、先生の過去にみいくん時代を引用しました。大人になる過程で筋肉教に入ってしまった世界線のみいくん。あそこからこうはならんやろ、と思いつつ、あの彼がこういう大人になっていたら色々救われるな、という願望が込められています。
上演当時、アンケートに某アニメ作品の名前を引き合いに出される方が何人かいたのですが(悪い意味ではなく思い出したというようなニュアンス)、私自身はその作品を当時存在すら認識しておらず、しかも指摘されたからには一生視ないことにしたので、ちょっと実際どうかは分からないのですが、特に影響を受けたわけではないことをここに記しておきます。
たまに「〜の影響を受けたんですか?」系の質問をされるのですが、影響受けてたら頑張ってそうと分かられないようにしているはずなので、大抵は結果的に似てしまったパターンになります。
ありがとうございます! いただいたサポートは生きていくのに使わせていただきます!