「良さ」考 (序)
コロナ陽性になって店を休みざるを得なくなってから数日経って。最初の2日くらいは熱と咳でロクに思考もできなかったけれど、体調が落ち着いてくるにつれて、良くも悪くも色んなことを考えるようになってくる。物理的な人との繋がりも断って、SNSからも距離を置く。すると、少しだけ、自分の店や仕事のことが、客観的に考えられるようになる(気がする)。そういう時に考えてしまうトピックは、自分の店の「良さ」とは何か、ということになりがちだ。
ここで言う「良さ」とは、「強み」とか「セールスポイント」とかと近いけれど、もう少し客観的で普遍的な尺度における「いい意味での個性」みたいな意味合い。要するに、「あの店って良いよね〜」という会話を人としたときに出てくる、「良い」の理由付けの部分だ。この部分は店側の人間が作り上げるだけのものではない。もちろん、店側の人間の思い描く理想と乖離していたら意味がない。しかし、「あの店って良いよね〜」という会話はお客さん側がするものである。だから当然、「良い」の理由付けの部分はお客さんが感じ取るものである。店側の人間が「良さ」を考えるとき、店側の主観からは離れなければ、正確に捉えることができないのだ。
店を持ってから1年。店側の人間としては「強み」や「セールスポイント」をつくってきたつもりだけれど、「良さ」というものはなかなか捉えきれずにいた。だからこのタイミングでそれをゆっくり考えられるのは、好機だ。
「良さ」という切り口で考えたとき、色んなお客さんたちの言葉を思い出した。
しかし特に印象深かったのは、二人の常連さんが、それぞれ別々のタイミングで「丁寧だ」と言ってくれたことだ。この二人は特に知り合い同士ではない。たまたま、同じことを言ってくれただけだ。私自身の性格の自己評価は、丁寧とは真逆で粗雑だと思っている。それでも「丁寧だ」と言ってもらえたのは、この店、もしくは仕事に、何か良さを感じてくれたからだと思う。
美味しいお店も、居心地の良いお店も、この街にはいくらでもある。それでも、この店を見出してくれた人のなかには、「この店だけの良さ」が確かに存在する。
それは言語化できないものかもしれない。けれど、私はそれを考えて、言葉にして、自分のなかにある理想と照らして、自分の店の「良さ」として抱きたい。その「良さ」が強固であればあるほど、この先なにか迷ったとき、道しるべになる。ような気がする。いや、むしろ、強い「良さ」を掲げなければ、見失ってしまう。そのくらいには険しい道だろう。
自分の店の「良さ」とは何か。きっとこの先何度も考えるトピックだと思う。まず、最初のキーワードは「丁寧」。ひとまずは、その評価を裏切らない仕事をしなければ。
スキを押していただくと「今日のコーヒー占い」が出てきます。何度でも押しちゃってください