年甲斐もなく週末にネイルを施す。
配色に悩む。
50歳。
男。
こざっぱりした髪型。
その日の服装はモノトーンなコーディネート。
前日の寝る前に服装のアウトラインは決まっていた。
Championのトレーナーに無印良品のコットンパンツを合わせる。
こざっぱりした頭には、BEN DAVISのコットンワッチキャップを置く。
この3アイテムの黒をベースに、白色を襟首・裾・足元に差す。
BEN DAVISのタグの赤色は三色目として使う。
タグをどの方向に向けるかで少々悩む。
真正面を向けると、カッチリとして間が抜けている。
少し外を向けると、抜けた感じでキッチリと納まる。
タグの向きは決まった。
差し色の白。
着込んだポロシャツの丈が合わず、狙った通りの白が裾から出ない。
裾の足りずを補うために、白Tシャツを着込む。
白の分量は決まった。
トータルの配色を見る。
リラックスした装いとしてはアリだと思うのだけれど、少しの物足りなさを感じる。
そこで「年甲斐もなく」と言う冒険心を加えてみる。
ネイルと言う、冒険心。
黒ではなく濃紺で小さな違いを入れたのは、遊び心。
タグの赤ではなく濃紺としたのは、年甲斐。
分別の配分は決まった。
TPOと心配り
この日は娘の進路説明会で学校の体育館へ行く。
学校の先生方がいらっしゃる前で帽子を被る事への若干の抵抗はあるのだが、着帽は娘の達ての希望。
達ての希望と言うよりは、娘の課した進路説明会参加への絶対条件。
個別面談ではなく、全体集会である事を理由に、着帽に礼節的な問題はナシとする。
父親がネイルをしている事での、先生諸氏への礼節的な問題は一切感じないのだが、年頃の娘の友達諸氏への体裁上の問題を感じる。
登校前の娘に確認。
意外や意外。
ネイルのOKがあっさり出る。
案の定。
脱帽のOKは頑として出ない。
親父のネイル < 親父の禿げ頭
今頃の娘の羞恥心の度合いが計り知れない。
いや。
流石は我が娘、と思うところか。
学校へ向かう。
行き交うご父兄のネイルへの好奇の目が少々刺さる。
刺さりはするが、吹けばポロリと落ちる程度の奇異の棘。
向こう三軒両隣で座られた方の、二度見チラ見程度は心地よい。
洒落心と言うアンチエイジング
冒頭にも書いたが、今年50の冴えない親父。
背中も丸まり、歩幅も小さい。
若い頃の弾ける様なフレッシュさは枯れ果て、漂う哀愁は初老のそれ。
御髪の寂しさは、髪型への気配りを奪い去り。
年相応の不文律は、町のセレクトショップからイオンの紳士服売り場へと足を向かわせる。
色事への期待値は、不能不調の恐怖が蓋をする。
不健康な健全さ。
天然自然の貞操帯。
桃色から灰色へ。
そんな五十路の指先が、恥じらいもなく紺色に染まると、背筋が伸びる。
腰の落ちた爪先開きの締まりのない歩き方が、腰が立って小股の締まったランウェウォークに変わる。
視線の向きが変わる。
顎の位置が変わる。
表情が変わる
視界が変わり世界が変わる。
お洒落は、らしさ。
初めて自分で服を買いに行ったのが14・15の頃。
トレーナーの胸にデカデカと書かれた
【HOT MILK】
の文字を最高にクールと思った中学生の感性と、語学力。
中学校の若手の男性教師の服装をお手本に、アーガイル柄セーターをタックインして向かったクリスマス会。
まだ学校指定の運動靴を履いてた。
そこを始点に御多分に漏れず。
ファッション雑誌片手に街を彷徨った10代と20代。
木村拓哉と言うバイブルに育てられました。
時代が巡り流行りの服装が巡る。
トレンドファッションと言う二重形容動詞に流されて過ごした結果。
服屋のスタッフに
「あ、その服可愛いですよね?今それメッチャ流行ってますよ。凄く売れてて皆買ってます。私も色違いで2着持ってます!」
な定型句で接客されたら真っ直ぐ眼を見て満面の笑みで
じゃ要らない。買おうかと思ったけど誰でも持ってるなら要らない。皆と一緒って面白い?それってお洒落?馬鹿なのアホなの?君さぁ普段着のセンスもなさそうだし、接客のセンスもないね。これがお洒落ですって出された服着て満足してなさい。
と言う本音は薄ら笑いで覆い隠して
「へ~」と言いながらそっと服を戻して店を出る大人になりました。
お洒落は、自分らしさ。
自分らしさは、その他との差異。
人とは違う、自分しかないものを、お洒落と言う。
配色の悪さ
姿形の悪さ。
質感の悪さ。
を恥いても
人との差異。
今時との差異。
業界との差異。
そんなモノには恥じ入りません。
大事なのは、自分の感覚美意識美的価値観。
その服に、拘りはあるのかい?
その合わせ方に、自分の哲学があるのかい?
今日の着てる服、好きかい?