時代の移り変わりとお墓の関係
時代は土の時代から風や時代へ
"1"の時代から"2"の時代へと移り変わった
簡単に言えば物質的なもの重視から
精神的なもの重視へと変わったという
そうなんだぁと思っても、実際のところ
こういう事ねとはまだ腑に落ちていなかったが
このほどようやく腑に落ちる時が来た
私が腑に落ちるきっかけはお墓問題でした
これまではお墓は大事なもので
ずーっと受け継ぐもの、やがては自分や
子供達も入っていくもの…
それこそ無くなった方々のお家なのだ
そう信じて疑わなかった
ところが旦那さんのお祖母さんは
亡くなった時に、お骨を子供達の意向で
処分されてしまった為、何も無くなった
お骨をお寺に預けていればそのお寺に
会いにいく事もできるのですが
何も無いのです
お寺もお墓も位牌もこの世でお祖母さんを
指し示すものは何も無く命日だけがあるのです
私の父は(幼少期に離婚してますが)兄弟との
間に色々あったようで、長男でしたが
先祖代々のお墓には入れてもらえず
お骨をお寺に預けられ、他の無縁仏様と共に
仏像となっているので当然お墓も位牌も
ありません
お祖母さんの命日だけをもって
父は命日と戒名をもって
自分達で通えるお寺で
長い間御供養を続けさせて頂いています
日々手を合わさせて頂き、節目にはお供物を
たくさん持ってお寺へ行きお経を挙げて頂く
(父は仏像にはなっていますが私の家からは
距離があり、いつでも行けるわけでは
ないので基本お祖母さんと同じ感覚です)
でも何故かそれでも大丈夫と感じていました
時が経ち視える聴こえる友人と出会い
ちゃんと故人が上に上がることができている
事や、いつもお墓などにいるわけでは
ない事を聞かされました
ただ墓に対する想いが残るのだと…
なのでもしそこに眠る御先祖様が生前に
お墓が大事という想いが強いと
子孫の都合で勝手に墓じまいなんてしたら
大変な事になる、そんな事も聞かされました
何かの形がなくとも
想う気持ちで手を合わせ
節目にはお経を挙げていただく事で御供養
できていたという安堵の気持ちと同時に
お墓や仏壇の必要性に、疑問を抱く様にも
なりました
お墓は必ず必要だった世の中の風潮が
樹木葬だったり散骨だったり
多種多様な納骨堂ができそこに預けたり
する家族が増え
継ぐものがいないからという事で
墓じまいをする人も増えてきた
私自身もお墓のお手入れがどうとかではなく
お墓そのものへのこだわりが薄れてきた
気がするのです
そこに時代の移り変わりの話がピッタリ
重なったのです
ようやく腑に落ちたのです
かといって全て必要ないかと言えば
そうでもなくお位牌は欲しいかなと思います
手を合わせる時に何かしらの対象が
必要だと思うからです
時代が進んだらそれすらも形を変えて
いくのもしれないですが…
お墓や仏壇という物質的なものより
忘れない事、想いを寄せ手を合わせ、
節目にはお経を挙げていただくという
目に見えない部分の方が大切だし尊い事だと
価値観が変化してきたことこそ
土の時代から風や時代へ
"1"の時代から"2"の時代へ
移り変わったという事なのだと
そういう事なのだと腑に落ちました
新しい時代を生きる私達は
物質的なものから精神的なものへ
移り変わった時代を経験して人生を
終えるのでお墓があっても無くても
こだわらなくなるのかもしれませんが
これまでの時代しか生きていない方々
(御先祖様)には、この時代の流れは
なかなか通用しない気もします
新しい今の時代を生きていませんので…
その辺りをどうしていくか
また、これまではお墓や仏壇という
形あるものと共に受け継がれてきた
先祖代々の歴史を
お墓などが無くなってきた時に
どう受け継いでいくのか…
ある意味大変な気はします
何かしらの工夫をしないと
人間は忘れる生き物ですから
時代の流れと共に変えられるものと
変えてはいけないものがまだまだ
混在していくのかなと思います
お墓が特に難しいと思うのは
2つの時代が混在しているものだと
考えているからです
お墓自体は土の時代の象徴であり
でもそこに眠る御先祖様の存在は
目に見えないが大切で、見えないけど
そこにいるとさえ感じさせるスピな世界
風の時代の象徴だと思うからです
そう考えるとお墓というのは凄い存在です
それ故に簡単にはいかないのだと
その事についても腑に落ちた
何か新しい捉え方、形に変わって
いくのだろうか…
どちらにしろ腑には落ちたが新たな
今後の課題になったと思っています