蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ 1st Live Tourの感想・観測したこと
ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ 1st Live Tour ~RUN!CAN!FUN!~、3都市6公演に参加しました。
率直に端的に、すごいライブでした。本当にすごかった。
そんなライブの中で私が感じた一端を、まとめようと思う。
3都市ツアーを通した変化
・演出面の変化について
ライブセットリスト、アンコール3曲だった福岡公演。そこからストーリーが進み彼女たちの持ち曲が増え、ライブ内の曲が純増し東京・愛知公演はアンコールが7曲。そのようなことができるんだ、と素直に驚いた。
キャストの表現方法の変化、一番大きいのはスリーズブーケの残陽。初日の福岡公演から東京・愛知に至るまでに確信部分の演出・表現の変化。曲の解釈が福岡と愛知で変わってくる。
他にも明日の空の僕たちへ、へ移るまでの花宮初奈さんの口上の変化など、細かいことを挙げるときりが無い。
・観客側(私)の座席位置による感じ方の変化
座席により見える風景が変わると感じ方も変わるもので。
後方ブロックから見える風景は漠然と観客のペンライトや、ステージの光・音を感じ、このコンテンツのライブ自体を肌身で体感しているよう。
センステ前や最前ブロックから見えるキャストのパフォーマンス、細かい表現。最前ブロック時はそれに加え、センステにいるキャストの背中、そして背中越しに会場全体が見える風景。
何が言いたいかというと、そういった変化により、ツアーを通して飽きや緩みを感じなかった。1stライブのパンフレットで花宮さんが下記のように仰っていたキャストやスタッフ陣の努力によるものだと思う一方で、後述するリアルタイム性を帯びたコンテンツであることが作用したのだと考えている。
キャストの節々に感じる向こう側の彼女たち
「ステージ上にいるキャストがキャラクターそのものに見える」という感想ではなく、ライブを通して、キャストのふとした所作から、向こう側の彼女たちもそのような仕草をするよな、と感じることが多かった。
例えば
・楡井希実さん
梢パート時に背中合わせの状態でも、オフマイクで口パクしている姿
・花宮初奈さん
パフォーマンスのキレ、特に歌唱を制限された東京公演の鬼気迫るもの
・野中ここなさん
年相応の笑顔や本当にライブを楽しんでいる様子
その一方で計算されつくされたカメラ目線
・佐々木琴子さん
さやかへのいじり、曲間のあそび
・菅叶和さん
力を入れた部分がだみ声気味になる所や歌唱時の遊び
・月音こなさん
要所要所で観客をめぐ党へ取り入れようとするウインク等可愛げな仕草
もちろんスクコネの動き自体はキャストの動きそのものなので動きがほぼ同様なのはそうなのですが、そうではなく、スクコネやFesxLiveでも見えづらい意識の点というか、そういった潜在部分を観測することができたのだと思う。
これはキャストが、「12人」で頑張ると、度々口にしていることと通じているのかもしれない。キャスト自身がキャラに成ることはなく、通した先にいる彼女たち。
向こう側の彼女たちからの言葉
アンコール直前にステージに現れる彼女たちの言葉で、主に下記のニュアンスの言葉が印象に残っている。
・彼女たちが遠征してきて、今、このライブ会場にいること
・彼女たちとライブ会場で出会えた、と彼女たちから名言してくれたこと
キャストを通して、我々は向こう側として観測していた彼女たちと出会えている、という事実が何だかとてつもなく嬉しかった。
ただ、それにより私の中で彼女たちの実在性が増したことと、その彼女たちが歌っている曲の意味は一意に固定されず、その時々で変化が生じやすくなったように感じた。振り落とされないようにしないと。
リアルタイムで進むコンテンツの観測者として
まず初めに、彼女たちも我々と一緒にライブツアーを走り抜け、そのリアルタイムの観測者になれたことは嬉しいという感情がある。
そして、ツアーが終盤になるにつれて増してきた、103期に実施される、我々が実体験できる彼女たちの単独ライブは、これが最後になるだろうという確信。
これにより、ツアー中でも、次がある、という気持ちは一切なく、今この瞬間は今しかないんだ、と強く感じた。それに伴って1回1回のライブを目に焼き付けたい、身体に浴びた光・音を忘れないようにしたいという気持ち増していき、ライブを重ねるにつれて緊張感も増していったのだろう。
次、我々が実体験できる単独ライブは104期4月、5月のライブになるということ。その時の彼女たちは、今とは確実に取り巻く環境が変わっていて、その変化を受け入れることができるか分からない。本当に怖い。
だからこそ、今この瞬間、この状況で活動する彼女たちを我々が観測して、こうやって文字に起こして、あの時あの状況下の感情はこうだった、と、残しておきたいと強く思った。我々にも訪れる変化により、今この気持ちを思い出せなくなってしまうのはすごくもったいないことだと、そう思ったから。