【薄桃色にこんがらがって】少年少女を捨てられない私たち②【ネタバレ感想/妄想解釈】
※2020年4月よりシャニマスを始めた新参者です。そのためキャラやコミュ解釈等が間違っている可能性があります。初心者の新鮮な感想を認めておく意味でのnoteです。読むのは二回目です。散文、個人の解釈です。
※ネタバレ感想
※かなり長くなりそうなので連載方式にしています。投稿後加筆修正がされる可能性が高いです。
【薄桃色にこんがらがって】少年少女を捨てられない私たち①【ネタバレ感想/妄想解釈】の続きです。
3.【反対ごっこ】/「大人」と「少女」
甘奈は自分の受けるオーディションが出来レであることを知らず、レッスンや面接練習に励んでいる。甜花が思わず褒めてしまうと、甘奈は言うのだ。
「──あははっ…… もう、褒めちゃダメだって! 反対ごっこ!」
千雪の提案した遊びは、彼女たちの糧となっていた。
そんな時千雪が訪れる。帰るまでに何か手伝おうか?と提案する彼女に、甘奈は「自分の用事(美容室)を優先して」と言う。それはPにも言われた「自分を大切に」と同じことだった。
彼女にはもしかしたら、それを「優しさ」ではなく「遠慮するように」受け取ってしまったのかもしれない。彼女にとって手伝いたいという想いは本心なのだから。
一方で、彼女は「自分を大切に」と言われるたびに「アプリコット」を思い出す。彼女を構成している「自分」=「アプリコット」に繋がっているからだろうか。彼女は諦めきれない自分の想いがあった。
そして自分がレッスン室を先に借りてしまっているために、レッスンを増やさなきゃという甘奈の邪魔をしてしまっていると考えてしまう。
アプリコットは自分の知っている時とは違う「新しい雑誌」になるのだ。だから、自分は諦め、新しいアプリコットガールとなる甘奈の脚を引っ張ってはならないという想いがあるのかもしれない。
「……ごめんね……」
彼女は謝る。そして甘奈も気を使うようにフォローする。そんな二人の空気を察するように見ている甜花。
その空気を和らげるように千雪は、『アプリコット』の雑誌を取り出す。甘奈の勉強になればいい、と。
「千雪さん……持ってたの……!」
「……あっ……ううん……! たまたまなの……」
「昨日、古本屋さんで見つけて……」
彼女は気を使わせないように、嘘をつく。それでも彼女の想いは隠せない。「かわいー……!」と言う甘奈の言葉に同意するように彼女は言うのだ。
「うん……すっごく……」
「すっごく、素敵な雑誌なの……」
彼女がどれだけ大人ぶって、どれだけ協力的であろうと思っても、何一つとして『アプリコット』への想いを隠せていなかった。
実際、大崎姉妹が二人で家に帰っている途中、二人は話すのだ。
「……あのね、千雪さんって────もしかして『アプリコット』、読んでたんじゃないかなって」
「……甜花も、思った……」
「とっても……好きだったり、するのかもって……」
双子の二人の意見が一致してしまった。だから、甘奈は本当にそうなんだろうと思ってしまう。そして彼女は不安になるだろう。本当にオーディションを受けるのは自分でいいのか、と。まだ確認をしていないことでもあり、彼女を不安にさせたくないという意味でも、甜花は「わ、わかんないけど」とごまかす。
「……うん でも、もしそうだったら…………」
「甘奈……──」
甘奈は既に揺らいでいた。自分がどうすればいいのか、わからなくなっていた。
「──……『3人で、アルストロメリア』…………」
千雪は自室でもそう呟く。確認するように、間違わないように。
レッスン室の件を思い出し、自分はただの自主練で、大きな仕事を持っている甘奈こそ練習すべき時なのに、と思う。
そして、彼女は後悔するようにつぶやくのだ。泣きそうな寂しい声で。
「なんでだろ……私……」
「…………なんで……『アプリコット』なんだろう…………」
彼女は、「好き」を一度諦めていた。
大好きな『アプリコット』という雑誌は廃刊となり、自分の手に届くものではなくなった。それは自分の望まない諦め。
だからこそ、その諦めを払拭するように再び現れた「好き」が、眩しくて、欲しくて仕方ないのだ。
そ して、自分は『アルストロメリア』の一員であるのに、今の彼女は『アプリコット』に憧れる、そして『アプリコット』に届くかもしれないと期待している自分になってしまっていることを、悔やんでいる。
自分勝手な想いが自分の中にあることを、「ダメ」だと思っている。
それは彼女に「大人」らしくいなければという意識の強さが見える。
彼女は、ずっと「少女」でいたい自分と「大人」でいなければいけない自分の『反対ごっこ』をしていた。
そんな二人の空気を見ていた甜花は知ってしまう。
甘奈がもう合格すると決まっていることに。
4.【そして彼女はインターホンを鳴らす】/少女は叫んだ
「──あーあーあーあーあー……」
3人で揃う声。3人は発声練習をしている。
甘奈がお腹が鳴りそう!と慌てていても、二人が大きな声でカバーする。笑い合う3人。それはアルストロメリアとしての理想の姿。
「3人揃ったら、最強の声だねっ!」
お腹が鳴っても可愛いと褒める甜花に、甘奈は甘やかさないで、と言う。そこで千雪はまた提案するのだ。
「あ、じゃあ……反対ごっこの時間です!」
その後、甜花と千雪は『めちゃめちゃ可愛くない』『お腹鳴って可愛くない』と言うのだが、「反対にすることでいっぱい褒めていい」と楽しそうに笑い合うのだ。これはごっこ遊び。少女が楽しく遊ぶための、ごっこ遊びなのだから。
しかし、オーディションの話になったとたん、その楽しい時間は解かれてしまう。
「オーディションがんばってね」そんな言葉は、千雪の想いに気づいた甘奈にはすごく引っかかるものだった。
「いつもの店でフレーバーラテが出ていた、買ってくる」という提案に千雪は「時間を大事にして、自分のことも考えて」と言うのだ。
いつもの千雪ならば言わないだろう。しかし自分も言われたその言葉は彼女に突き刺さって抜けていなかった。それはもしかしたら自分に言い聞かせていたのかもしれない。
「ごめんなさい」と二人の間に無言が多くなる。
結局、千雪と甜花でフレーバーラテは差し入れしようという話になるのだが……
「甘奈のせいだ……」
「気にしすぎて、甘奈がヘンな感じにしちゃってる……」
「私のせい……」
「私、ヘンだもん……」
お互いのことは「なにも悪くない」という二人だが、このぎこちない空気になってしまっているのは、自分のせいだと後悔する二人。このままでは『3人でアルストロメリア』でいられなくなってしまう。
彼女たちは優しすぎるのだ。自分のせいだと思い込み、3人の調和のために自分の内に秘めようとしてしまう──だからこそ、今回のコミュは起きた。
千雪が甘奈に気を使って「好き」を言わなかった。
甘奈が千雪に気を使って自分の仕事に迷った。
それは相手を想うからこその『反対ごっこ』──優しい嘘。しかし彼女たちはその嘘を突き通せるほど「大人」ではなかった。まだ「少女」なのだ。
また、それを見ている甜花も気づいているのだ。
しかし、彼女だけは知っている。「グランプリに甘奈が内定している」ということを。
このシナリオの終わりを、彼女だけは知っている。
だからこそ、彼女は「自分がなにもできない」と落ち込んでしまうのだ。
「──……『3人で、アルストロメリア』…………」
そう呟くも、3人とも各々一人の夜を過ごしていた。
その中で、千雪は自宅から飛び出し、河川敷へと向かう。
彼女は、ただ、声をだす。
甘奈を思い出し、自分の言葉で不安になっている二人の顔を思い出し。
一人だけの発声練習をする。
私はこの時のどうしようもない感情の吐露の方法に涙が出てしまった。
言葉にはできない、しちゃいけない、そう分かっているけれど、何もせずにはいられない。
「大人」の自分で「少女」の自分を無理やりに押さえつけている、だけど「少女」の自分は叫ばずにはいられないのだ。それは、彼女が今まで我慢してきた証であり、自分の気持ちの処理がうまくできない「少女」のままなのだということがよくわかる。
彼女は本当に「好き」だったのだ。諦めきれないほど、「好き」だったのだ。
だからこそ、彼女はインターホンを鳴らす。
あくまで優しく──しかし、そのまっすぐな声は「少女」のものだった。
「────『アプリコット』のオーディション」
「私も……受けたい」
「受けてもいい?」
以下この時点での初見の感想
少年少女を捨てられない私たち③へ続く
余談1 最後まで感想を書き切ろうと思っていたのだが、居酒屋のシーンであまりにも息が詰まってしまった。初見ではない現象だった。二度目の視聴であるということで私は既にこのシナリオの終わりを知ってしまっているからこそ、千雪の純粋な「好き」に応えられないと知っているからこそ、苦しくなった。この世界のどうしようもなさに泣きたくなってしまった。そんなところが好きなはずなのに。ちなみに居酒屋のシーンは私がこのコミュで一二を争うほど好きなシーンである。そのため、筆を一旦おくことにした。
余談2 これを書いていて、「私はスキをあきらめない」と叫んだあるアニメのことを思い出した。
「ユリ熊嵐」。「少女革命ウテナ」や「輪るピングドラム」、「さらざんまい」等を手掛けた幾原邦彦監督によるアニメーション作品である。
端的に言えば、「断絶」された二人の「少女」が、どうしようもない世界で、「好き」を見つけ「好き」を諦めずにお互いに手を伸ばし続ける話だ。
私は「好き」を持つ人を肯定したいと思っている。そして自分も「好き」を持ち続けたいと思っている。しかし現代社会ではそれをよしとしない風潮が少なからずある。(緩和された方ではあるが)
「いい歳して○○が好きなのやめたら?」「今は若いから好きなことできていいね」
私はそんな言葉が嫌いだった。そしてそんな言葉を言うのは「好き」を諦めた「大人」ばかりだった。自分が諦めたからと、他人にも強制しようとする、そんな大人が、大嫌いだった。
そんな時、私はこのアニメに出会った。「好き」を肯定してくれるアニメだった。世界から見放されようと、世界から否定されようと、「好き」を綺麗に描いてくれる物語だった。
私はシャニマスにもそれと似た物を感じている。シャニマスも「アイドル」という「憧れ」「好き」に真摯に前向きに描写している。
そして、シャニマスを「好き」という私たちの気持ちを裏切らない。
私はそう信じて、このコンテンツを摂取している。シャニマスをプレイしている時、私は「少女」だった。
だからこそ、私は「少女」を殺したくないと願っている。たとえ、歳を重ねたとしても。「好き」を諦めたくはなかった。
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