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23.03.09 「じゃあ正義なんていらない」と大人になって叫ぶ女。

以下より転載。

私には反抗期というものは、なかった。
アニメでよく見るような「お父さんの服と一緒に洗濯しないで!」と怒る少女の声も、「お母さんは私の事なんてわかってないんだ!」と悲観する少女の声も、私には一切なかった。
それが当たり前では無いことは、学生時代に数多く、幅広くいる友達から話を聞くにわかっていたし、そもそも小学生の頃に読んだ人格形成の話から、反抗期が二度あり、それらは避けて通れない道だとも知っていた。
知っていたのに、私には来なかったらしい。知っていたから来なかったのか?
家庭でも学校でも「大人」のロールを求められていた自分は自分のことを「子ども」だと認識できていなかったのかもしれない。反抗期、というものをやっている心の余裕がなかったのかもしれない。

今度、心理検査をするにあたって、母子手帳と通知表を引っ張り出してみた。
学生時代どんな人間だったか、ふんわり忘れていたのに、明確に思い出してきた。
親から話を聞くに、私には第一次反抗期と第二次反抗期のどちらもほぼなかったらしい。それは「満足していた」からではなく、4歳の頃から身内も含め他人の顔色を窺い続けていたからだし(イヤイヤ期の記憶は流石にない)、それによって他人の求めることがほとんどわかってしまったから、その通りに動いていた、それで「いい子」だと言われて喜んで笑った──つまり、「満足したフリをしていた」からである。
両親から引き継いだ遺伝的能力のお陰で、基本的な勉学や運動、芸術から家事まで大体のことは平均点の+10点くらいはできた。(才能がなかったこととしては、バレエやダンス、体操系のものがあったが、逆に欠点があることで親しみやすかったのかもしれない。)
天才的に何かが飛び抜けてできる訳でもないが、基本的に通知表には5が並んでいた。(そもそも通知表で5を取るなんて、授業で積極的に発言し、教師の機嫌を窺ってそれ相応に誘導すれば当たり前にできることだと思っていた。)
対人コミュニケーションに問題があるわけでもなく、寧ろ年齢性別問わず、知り合いや友人は多かった。スクールカーストなんて関係なく、運動部でいかにもギャルな女子の恋愛相談に乗って、大人しめで可愛い女子と共に帰りサンリオの話をしたかと思えば、オタクグループでキモオタクとして絵を描き、アニメについて語る。一緒に男子に混じってサッカーをしたり、男性教師と最近発売したゲームの話で盛り上がったかと思えば、化学の授業中に隣の男子とノートの端に走り書きをし馬鹿みたいな文通をしたし、歌が好きな男子となんとなくでカラオケに行ったり、ゲーム好きな男子とマクドナルドにわざわざ集合し、ポテトだけ頼んでゴッドイーターを一日マルチプレイをしていた。
そんなことを先輩後輩にもやっていた。
今思うと、異様に人脈を広げていたと思う。それが当たり前ではなかったことを、最近知った。友達にも「色んな人と話しててすごいなって思ってた」と言われたりした。私の見えてる世界はどうやら世間一般とはズレていたらしい。
それが全部嫌になって「私の黒歴史BOX」に全部しまい込んで奥の方にしまっていたから、そんな思い出があったことすら、忘れていた。今客観的に思うと、自分が自分ではないようで気持ち悪かった。

勉強も交友も趣味も全てを全力でやっていた。それは楽しかったからではなく、大人の目が怖かったからである。大人の期待を裏切れば、自分の存在する場所がなくなると本気で思っていた。この社会は大人が働くことで回っていると、6歳の時には既に自覚していたし(だからこそ共働きの親の機嫌を損ねないように家事をしていた)、自分よりも年上の人間に殴られたら私は簡単に死ぬのだろうと察していたし、年下の人間は守るべき存在だと8歳の頃に痛感した。(あまりいい気持ちになる話でもないから詳細は省く。というか詳細を全部話すと本当に嫌な話ばかりだ。)
そんなことを考え続けたら、キャパオーバーで心身壊れるだろうと言われても、私は高校の時まで壊れなかったし、本当に快活に動いていたらしい。ぶっ倒れた時も誰も「え!?なんで!?楽しそうだったじゃん!?」と大人は皆驚く顔をして私に告げた。
それは私ですら思ったことだった。

人間という生物がキャパオーバーしつつも動けるということは、自分すらも騙していることである。

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