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「わたしは誰で何なのか?」~ホメオパシー的インド映画鑑賞で自分を知る~その①
メエィサキュフーン メエィサキュフーン
わたしは小さな箱に入ってる
わたしは誰なのか?
一生懸命書類に目を通して知ろうとしている
箱の外だよ
箱の中見てても見つかんない
書いてはあるけど、その暗号を解く鍵は
いつも、箱の、外
* * * インド映画"Laksya"より。"Main Aisa Kyun Hoon"
わたしはインド映画が好きだ。
中でも、リティク・ローシャンというイケメン俳優が好きだ。
並みのイケメンではない、ダンスが超絶上手い。演技もいかなる役どころも見事にこなす。プロとして鍛錬してる。
©HrithikInspiresJapan さまよりお借りしました♡
今でこそ「フリさま♡♡」って呼んで
公明正大に応援してるけど、
最初は鼻のあたりとかいけ好かなかった。
「オレ、カッコイイだろオーラ」が
文字通り鼻持ちならなかった。
あの、本当は近づきたいのに
心理的距離をとっさに置いてしまう
あまのじゃく的な心の反射は何なんだろう?
みなさんも経験したことがありませんか?
わたしは結構あるのですが。
今思えばそれは嫉妬。
容姿にも家柄にも(映画業一家)体格にも運動技能にも恵まれた彼と
それらを持ちえない影の部分の私をとっさに比較して
まるで彼は「恵まれて持ちうるもの」で
自分は「恵まれず持ち得ないもの」という構図を作り、それに決して追いつけない自分を哀れんで見て見ぬふりをした。
…からの、
「こいつ、いけ好かん」
だったんじゃないかな。
輝いてる人の凹みの部分や、努力している側面をとっさに見なかったことにし、その人を持ちうる者として嫉妬を向けて、その「努力で越えられない壁的なもの」を妄信して自らは現在のステージに居続ける。悲しきかな人間。
フリさまにだって凹みの部分はある。だからこそ彼の天性を開花させ保たせてる彼の努力がより際立つ。(↓の記事に短く書いてるのでぜひ!)
他人の影の努力への想像力を働かせず、自分可哀そう症候群に居続けるのはスネ夫でありスネ子だ、と自戒する。
せっかく生きてるんだから、そっから自分を成長させて、楽しいことして生きてたい。むしろ、あんだけ悲哀を舐めたんだから、楽しいことしかしてやるもんかって、思ってる。
トンネル抜けした今は、切迫感をもってそう思ってる。(↓の記事に詳しい)
*
*
*
2012年夏、ラムサール条約締約国会議の帰りの飛行機で観た
『AGNEEPATH』が、わたしのフリさまとの出会いであり、
インド映画が初めてわたしの心に灯を灯した記念碑的映画です。
3年目のワーキングマザーとして
【現代日本×働く女性×子育ての悲哀】にどっぷり浸っていた私にとって、
全盛期のプリヤンカ・チョープラーが赤いサリーを着て
フリさま演じる因縁復讐劇どっぷりのやさぐれ男(でもイケメン…)を
歌って踊って励ますこの一曲は、
わたしにとって蜘蛛の糸のような光明としてもたらされた天啓でした。
インド映画"AGNEEPATH"より "Gun Gun Guna"
でもまだ、沼にはハマらなかった。
機は熟していなかった。
コンクリート敷きの都市をその後3年歩いた
皮膚はからからに乾いて
両生類は皮膚呼吸ができず
体温も保てずどうしようもなく苦しかった
渡りの次の湿地を心のどこかで探していた
*
それから3年経った2015年の冬、
思い立って5歳になった長女とオーロラを観に行くことにした。
アラスカ・フェアバンクスでの母娘の冒険やいかに!
次回につづく。お楽しみに♡
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