だけ報告:富岳の中に入る
11月、理化学研究所が主催する、富岳見学イベントに参加した。
先着1000人が富岳の計算機室内に入る。
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富岳とは、神戸市のポートアイランド内に設置された、国内最高性能のスーパコンピュータである。
世界的に見てもトップクラスの性能を持ち、コロナウイルスの感染予防の研究として、飛沫の拡散シミュレーションも行った。
当時は、富岳の供用開始時期より前だったが、物流停滞などによる部品不足にもかかわらず早期設置し、高度なシミュレーションを実施した。
スーパコンピュータといえば、なじみが少ないように思えるが、大きくアピールされることが少ないだけで、生活の中で当たり前になっている便利な物事を開発する際に活躍していることも、実は少なくない。
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さて、というわけで、午前10時、わたしはポートアイランドにある理化学研究所の計算科学研究センターに到着した。
技術系のイベントだけに、混雑を予想していなかったわたしは、長蛇の列に面食らった。計算機室見学以外のイベントも実施しており、そちらの待ち列だったのだが、多くの人が計算機科学という比較的マイナーよりな分野に興味があるのだなあ、と思った。子どもも多かった。
受付を済ませると、階段を登る。何階登ったのだろう。何度も踊り場を折り返し、数分間登った。気温が低い、外は秋にしては暖かい小春日和だったけど、ジャンパを羽織った。靴の裏のホコリを吸着するシートの上を歩き、計算機室へ入る。
わたしは、ツアーのように説明を聞きながら、すこしずつ計算機室へ近づいていき、メインはようやくおでまし! という流れをイメージしていたので、受付してもうそのまま職員について行ったら計算機室の中にすでに自分がいたのには、ちょっとびっくりした。
さすが、すごいスピード感だ。
見てくださいよ。いやあ、壮観だなあ。
ブルーに薄暗く、空冷されている部屋は、巨大な無柱空間となっていて、天井高もかなりある。耐震設計として、4階建ての計算機棟は、ほかの建物とは分離してジャッキのようなもので浮かんでいるらしい。
これはすごかった。
豪華客船とか、2連結バスとか、回転する舞台とか、そういうものと同じ類いの感動があった。ここに居座っているだけで心地がいいなあ、と思った。実際、この後1時間くらい計算機室の中に居てしまった。
その間何をしていたのかといえば、こういう写真を撮ったりしていたのだが、スーパコンピュータとは要は、同じものがたくさん並んでいる集合だ。
構図も被写体も、大体一緒なので、写真的にはほんとうに代わり映えしない。それがいいのですがね。
そして、このイベントなんと、来てみて分かったのだが、現役の研究員さんが「質問してください」と書かれたネームプレートを下げて立っているのだ! 1時間のほとんどを、無勉強なわたしの質問に答えてもらって過ごした。
ほんとうにいいのか、理研。
普段そうは出会えない学者の方々に、初心者見学者というレッテルを高々と掲げて質問しにいける。こんな幸せな学究の時間が今まであっただろうか……。
この記事を読んでいるだけのみなさんには、私だけいい思いをした話をつらつらやって、ほんとうに申し訳ない。すまない。
掃除ってどうやるんですか? とかあほな質問もさせてもらったが(これだけ来場者が多いとほこりが心配)、多くの時間を、スパコンならではの思考法についてうかがった。
わたし自身、プログラムをするわけではない。
ただ、自分を取り巻く多くのものが、プログラムによって働いているのだ。それがどのような仕組みで成り立っているのかを、どこかで知りたがっていたのだと思う。
巨大な計算機は、毎日動き続けている。
誰か1人だけが使っているのではない。1日あたり100人以上が利用することもある。
また、その電力消費量も桁違いだ。フル稼働時、1時間で4人家族の6年分の消費量になる。6年が1時間ですんでしまう。その分、計算時間も桁違いに早いのだが。
わたしは、アニメに出てくるような、すっごい広いコントロール・ルームのようなものがあって、そこで研究者がプログラムにいそしんでいるようなイメージを勝手に持っていたのだが、どうやら富岳へは、どこからでもアクセス可能らしい。
なのでそういう部屋はべつにない、とのことだった。
東京の研究所からでも、海外からでも計算させられる。
たしかに、そうでなければ使い勝手が悪すぎるな。
Googleのセンターにいかなくても、検索できるのと同じだ。
うかがったお話の中で一番興味深かったのは、
富岳が計算しやすいように、人間がプログラムを工夫しなければならない。
というところだった。
スパコンは平たく云えば、コンピュータを大量に並列させて、賢く速くさせているのだが、ふつうのコンピュータを扱うのと同じスタンスでは、うまく働いてくれない。
われわれがWindowsなりiMacなりをつかうとき、彼らの中には脳みそがひとつしかない。
これはCPU(Central Processing Unit)と呼ばれる部品のことだ。
しかし、なんと富岳にはぜんぶで15万8976個、脳みそがあるのだ!
これは驚くべきことである。
考えてみてほしい、少なくとも十万を超える人間に、情報を処理するよう命令をくだす指揮官のことを。『三体』もびっくりである(中国のSF小説『三体』には、大量の人間を並べた計算陣形で、人力コンピューティングをやってのける場面がある)。
ひとつの脳みそに仕事を振るのなら単純なのだが、スーパコンピュータ相手なら、ぜんぶのCPUを使うことはそうないものの、少なくとも10や20のCPUを相手にするのは日常茶飯事である。
ものすごく大きなシミュレーションも、そういうひとつひとつの脳みそが各個で計算した結果なのだ。
プログラムをする人間は、それぞれの脳に、どんな計算をするのか別個に指令してゆかなければならない。ここが、一般のプログラムとは異なる点だということだった。
どれだけ計算力のあるマシンでも、その能力を最大限に引き出すには、人間のマネージャが適切に仕事を割り振り、その結果が最良のものになるように努力せねばならない。結果は人間のウデ次第ということか。
昨今のAIの風に当てられて、賢いものは人間のやりたいことをくみ取って先回りしてくれるから賢い、というような認識になってしまっていたが、現役の計算機科学の研究者の方から話を聞いて、はっとした。
スーパコンピュータはどこまでいっても道具なのだ。道具を人間が、その腕力と努力によって使いこなした結果が、賢さなのだ。賢いのは機械ではなく、やはり人間なのだ。
べつに人間を美化しようとしているわけではないのだが、そういうふうに腑に落ちて帰ってきた。
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さあて、神戸は甘いものがいろいろあるぞ。学究の後は、ブドウ糖が必要である。
こちら、ケーニヒスクローネ本店でいただいたスイーツのセット。この、パイ生地の中にクリームが寝転んでいるクローネという食べ物、美味なんですよねえ。
しかも、ドリンクはおかわりし放題です。
理研に続いて大丈夫か、ケーニヒスクローネ。
富岳の見学は、ふだん当たり前に使っている文明の利器との付き合い方を、どこか変えたような気がする。iPhoneもGoogleも、すこし存在が密接に感じられるようになった。
彼らは道具としてわたしたちの近くにあり、生活を助けてくれる。それをどう扱うかは、わたしたち次第だ。
理研では、量子コンピュータの開発にも力を入れている。実用段階まで進めば、富岳とコンビを組んで、量子力学を中心とした分野で活躍することになるだろう。
科学がここまで発展してきたのは、ひとえに人間の探究心ゆえだ。
そしてその探究心が、観測に必要な道具を発展させてきた。計算機は、観測を超えた、世界をつくりだすシミュレーションの道具として、その進化の最先端にいる。
月並みな意見だが、科学の発展は、さらに人類を広く大きな存在へと導いてゆくのだろう。そんな未来が、楽しみである。
追伸
富岳の一般公開は、来年の秋までおあずけだ……。興味が出た人は、ぜひ来年予定をあけておいてくれたまえ。研究機関や企業向けには、いつでも窓口が開かれている。
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DAKE HOUKOKU: vol.4
inner room of Supercomputer "Fugaku"