偶然じゃない、運命みたい
オタク遍歴を書く時、絶対この「いや中島健人じゃないんか~~い!!!!」という流れを残そうと思っていたので、今非常に満足している。
菊池風磨ならこの場合も「いや逆ゥ」と言ってくれるだろうか。
前回、前々回と書いてきた中に彼の名前はない。それでいて今わたしが胸を張って「自担です!」と名前を上げるのは、菊池風磨である。何故か。(なぜか)
これは偶然じゃない、運命みたいに手を引かれたとしか言いようがない。
その経緯を上手く言葉にする自信は無いが、強いて述べるとしたら
①中島健人というアイドルを知るために
②Sexy Zoneの仕事を追いかけてみたら
③菊池風磨というアイドルに出会い
④菊池風磨という人間に落ちた
というわけである。どういうわけである?
正直なところわたしにもよくわからない。
でも、恋ってそういうもんじゃん?(今日の名言)
個人的に、上記の③と④で菊池風磨に「アイドル」と「人間」の差をつけているというのがけっこう重要で。もちろんわたしたちから見えているものが全てではないと頭の片隅で理解はしているものの、それを引っ括めても、ジャニーズの「アイドル」菊池風磨から垣間見える、彼の「人間性」に惹かれるものがあった。
世間一般的には「アイドル」というのは偶像とされるものだと思うのだが、わたしが好きになりがちなのがそこに「人間味」のあるタイプ。
お気付きの方もいるだろう、わたしの中での「中島健人」と「菊池風磨」の分かれ道は、ここだったのだ。
中島健人という人、アイドルはもう、ファンより外の第三者、謂わばテレビで見かけるだけの人が思うであろうアイドル像・キャラクターそのままだと思う。
彼のことを勉強し始めた時、一時期よくクローズアップされていた”神対応”っぷりやファンへの思いやり、更にはスタッフさんや関係各位への姿勢等々、この人はどこまでもアイドル貫いていてすごいなあと思っていた。
そして、知れば知るほど「中島健人という人間はアイドルになるためにこの世に生を受けたのではないか」説がわたしの中で濃くなっている。
当然、仕事とプライベートである程度の差はあるだろうと思うが、周囲の人、はたまたご本人の口から出てくるこぼれ話どれをとってもアイドル中島健人なのだ。言い方に語弊があるかもしれないが、隙がない。
それでいてたまに天然っぷりを発揮したりするものだからもはや「これはオタクの作り出した2次元の創作か何かか?」と思ってしまうくらいには、抜けている所までもがアイドルなのだ。
ファンが応援し続けられるひとつの要因だろう。
もちろんわたしもそんなアイドル中島健人が好きだ。
一方の菊池風磨はアイドルというよりタレントという名前が似合う。アイドルもタレントであることに違いはないのだが、昨今のテレビ番組の露出に限って言えばなんというか、タレント感が強い。わたしにそれを表現するボキャブラリーが足りない。
別に何かを否定しているわけではない。彼はアイドルとして歌って踊るだけでない、マルチになんでも出来る感がじわじわと世間に広まっているのを感じ始めたのだ。わたしが。
「治安悪めのやんちゃボーイ」的な雰囲気が先行して印象付くことの多そうな彼(わたし調べ)だが、それも菊池風磨というアイドルの強みだと思う。
雑誌等で彼は「”手が届きそう、真似できそう、だけどちょっと勝てない”くらいのポジションにいたい」というニュアンスの話をしていたのだが、これがドンピシャ世間に、いやわたしにハマったように感じる。まさに今の菊池風磨はこの距離感に立っているのではないだろうか。
なんてことない発言に親近感が持てたり、飾りすぎない立ち振舞もそれを引き立てていたり、とにかく自分の置き場所を見つけることに長けている。恐らく自己分析力がとんでもない。そして頭の回転が速いので、トークテンポが気持ち良く、出るところ引くところの駆け引きがナチュラルに出来てしまう。
えっ、すごい。(シンプル)
これがnoteで良かったよ、リアルだったらオタク特有の早口で捲し立てている自分が容易に想像できて自分で引いた。文字にすることが出来る世界線で良かった。ありがとう現世。まだ生きる。
こうしてまんまと菊池風磨の術中にハマったわたしは今日も元気に「爆モテふうまくんだ~~~!!」とTwitterで大騒ぎするのであった。
(まだまだ書ける勢いですが全部書いてしまうとここで完結してしまうので焦らしプレイでいきます)(ちなみに今回のタイトル、菊池風磨のソロ曲❝My Life❞より引用しております)(変に拘った)(そして初回に続いてまたしても同じ方のイラストを引用させていただきました。ありがとうございます)