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短編小説『言の葉は消えゆくすべて』

 他のテーブルから、呼び出しベルの音がした。

「話せなさそうなら、無理しなくていいよ?」

 さくらんぼのような、赤い爪。
 首をふりおえると、メロンソーダにそえられたその長い指が目に入った。
 指によく似合う細い二の腕。無防備なキャミソール。青白い首筋。肩につかないボブショート。
 こんな時間に呼び出しても理由を聞かず、優しそうな、薄い、花びらみたいに薄い、微笑みをする唇。
 満月めいた大きな瞳。
 大嫌いで仕方なかった女。
 誰よりもきれいだったから、誰よりも汚くあってほしかった。幼稚園でしたお絵かきも、小学校の徒競走も、中学校の成績も、高校のスピーチも、なにも勝てなかったから。
 いつだって、汚してやりたくて仕方なかった。
 グチャグチャに。
 誰もこいつを見たくないくらい。
 グチャグチャのグチャグチャに。
 みんな、こいつを羨んだ過去を、恥ずかしく思えばいい。
 グチャグチャ、グチャグチャ、グチャグチャ。
 そうやって、私の心ぐらいグチャグチャにしたら、笑えると思った。
 だからまず、男をつくって、やることすませて。男に言われるまま、こいつが知らないような、なにがイイのかわからない体験も、たくさんすませて。私はもっと、汚くなって。
 やっぱり、きれいな女だ。
 焦点があうように、視界が戻ってくる。
 メロンソーダのまわりに並べられていた料理は、もう残っていない。
 オーダーをとった店員が、調理場へ消えていく。
 大嫌いで仕方なかった、こいつのことが。
 フォークを取り出して、つけあわせのブロッコリーを刺す。もっと、弾力があった。

「殺しちゃった」

 これだけはやったことないだろう。
 この経験だけはきっと、私だけだ。
 ブロッコリーを口にいれる。ブロッコリーの味がする。
 だから、すこしぐらい気が晴れる。
 大嫌いで仕方なかった、はず、だから。

「やるじゃん」

 いつもよりしなった弓形の瞳に、なんの感慨もわかない。
 今日はずっとそうだ。
 大嫌いだったことは覚えている。覚えている。
 なにが気にいらなかったのかも、こいつをどうしてやろうと考えていたことも。覚えているだけだ。
 昔は毎日こいつの顔が離れなかったのに、ここ数日、すっかり忘れていた。

「埋めたりしたの?」
「部屋に置いてきた」
「ダイタンだね。怖くないの?」
「怖い?」
「バレたあととか」

 息を吸うと、おおきな高い音がした。
 聞き慣れた皿の割れる音。
 取り返しのつかないことをした。
 治る痣よりできる痣が多いから。毎日聞かされた罵声がフラッシュバックしたから。ふと、前に新しい服を買ったのはいつだったか考えたから。首を絞められたから。
 静まりかえった店内で有線から流行りの曲が聞こえていても、言い訳をする自分の頭の声がうるさくて聞き取れない。
 昔執着したこいつの顔のきれいさより、明日の不安が勝っている。

「じゃあさ」

 視界に、ピースが差しだされる。

「私と埋める?」
「……どうしてそんなこと言うの」
「私じゃ不安?」
「そうじゃなくて」
「完璧にこなすよ。なんだって、あなたより。そもそもさあ」

 ピースがぼやけて、あいつの顔にピントがあう。

「お前がグチャグチャになる理由は、私じゃなきゃダメだからだよ」

 瞳が、憎たらしく三日月になった。



※タイトルは同人タイトルスロット1さんからお借りしました。
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