【連載小説】パラダイス・シフト_4
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「ゲームをしようか」
ボーイがうやうやしく持ってきたバーボンをあおり、工藤が言った。
酔ったらとんでもないことが起きるような気がして、おれのピッチは遅い。早く飲めよ、と急かすように、溶けた氷がからん、と音を立てた。
と思ったら、それは工藤が放ったサイコロの音だった。
「ゲーム?」
「そう、簡単なゲーム。前にも言ったけど、サイコロの出目はコントロールできる。それを試してみないかい?」
「イカサマ……ではないんだよな」
もちろん、と工藤は指を三本立てた。「こんな言葉がある。一本では折れてしまう矢も、束になれば頑丈になる」
聞いたことがある。戦国武将の毛利なにがしが言ったやつではなかっただろうか。
「まさか、サイコロを三つ同時に振るとか、言うんじゃないだろうな?」
おれが放ったのは一本の矢だったが、それが工藤の動きを止めた。鳩が豆鉄砲を食ったよう……それだと矢ではなくて鉄砲になってしまうが、とにかくそんな顔をして「やっぱりカジカジは素質があるよ」
「素質? なんの素質だ?」
「世界を変える」
その声はラウンジの奥から聞こえ、遅れて声の主が姿を現した。
「やあ、マーガレット。約束どおりカジカジを連れてきたよ」
マーガレット、と工藤が呼んだ女は、どこからどう見ても日本人だったし、おまけにおれたちよりも年下に見えた。根拠はふたつある。セーラー服とおさげ髪だ。
「カジカジ、はじめまして。あたしはマーガレット」
「あ、ああ。はじめまして」
本名なのか、と聞くことはやめた。いちいち疑問をぶつけていたら、いつまで経っても先に進まない。いや、疑問はぶつけていた。「ゲーム?」と聞いたら戦国武将が出てきたし、「素質?」と聞いたらマーガレットが出てきた。次から次へと、疑問が上塗りされていく。
「順に、説明していこうか」工藤がそう言って、立ち上がった。マーガレットが現れたラウンジの奥へと、そのまま向かっていく。
立ち上がったときに一瞬ふらついたのは、酔いが回ったからではなかった。得体の知れない場所に踏み入れる足が、小刻みに震えていた。
そこには無数のモニターが設置されていた。無数といっても、数えようと思えば数えられる。縦に六台、横に六台、計三十六台のモニターが、それぞれ違う場面を映している。
モニターを見渡せる位置にはソファが設置され、ちょうど三人だけが座れるように区切られている。ソファの前には、幅の長いテーブル。ボウルをくりぬいたような窪みが、ソファの座る位置と同じ間隔で空いている。
「好きなところに座ってよ」グラスを傾けながら、工藤が言う。
部屋の奥にる「上座」に座るのも、中央に座るのも気が引けて、いちばん手前に座った。工藤はその隣に座り、「見てごらん」と言った。「横軸は空間、縦軸は時間を表しているんだ」
「空間? 時間?」
しまった、クエスチョンマークを二つも追加してしまった。しかし、工藤は今度はもったいぶらなかった。
「空間は、同じ場所ということだよ。例えばこの部屋かもしれないし、同じ建物かもしれない。もっと範囲を広げれば、駅や街、国なんてこともある」
「つまり、横一列に並んでいるモニターは、同じ場所を映しているということか」
「今、同じことを言ったけどね」と工藤が笑う。
確かに画面を注意深く見てみれば、最上段の一列は、どれも新宿駅を映しているようだ。
「場所、というと厳密には違うんだけどね。同じ場所であれば、まったく同じ様子がモニターに映し出されないといけないから。だから空間と呼んだほうがしっくりくる」
新宿駅というくくりなら、東口だったり、中央線のホームだったり、都営大江戸線のエスカレーターだったりするわけだ。そう解釈すれば、空間の意味がわかる。
「それから、縦軸は時間。いちばん上が現在。下に一つずれるごとにプラス三分、つまりいちばん下の列は、十五分後の未来ということになる」
「未来の映像なんて、どうやって撮っているんだ」
「それは企業秘密。ひとつ言えることは、僕たちの未来は三分後とともにあるということだ」
「よくわからない」
「モニターを見てごらん。いちばん上が現在と言ったよね。二列目が三分後。実は、この二列目が大切なんだ。二列目のモニターに表示された未来は、変えることができない。僕たちの未来は、三分後までは決まっていて変えられない」
いよいよ宗教めいてきたぞ、とおれは話半分で聞いていた。しかし、工藤の口調が真剣そのものだから、完全に聞き流してしまうことはできない。
「逆に考えれば、三分より先の未来は変えることができるんだよ」
「説明は終わった?」
オレンジ色の液体がなみなみと注がれたグラスを持って、マーガレットが入ってきた。それがカシスオレンジだろうが、オレンジジュースだろうが、おれにとっては、どうでも良かった。
モニターの左上、ExcelでたとえるならA1にあたる場所に、見知った顔が映っていたからだ。
「カジカジ、気になるところがある?」
「左上、会社の後輩が映っている」
「どれどれ。ああ、ひどく酔っぱらっているね」
工藤の言うとおり、磯貝は千鳥足で新宿駅を歩いているようだった。A2(三分後)のモニターでは、なんとか自動改札をくぐり抜けている。その後、階段を経由してプラットホームへ。そしてA6(十五分後)のモニターはブラックアウトしていた。
「なあ、工藤。これは推測なんだが」
「カジカジ、きみの言いたいことはわかるし、その推測は当たりだと、先に言っておくよ」
「あいつは十五分後に死ぬのか?」