【連載小説】発砲美人は嫌われたくない_4
ヤカタさんに指示された後始末の内容はシンプルだった。
床の掃除と痕跡の消去、それからカナコの不安を取り除いてやることの3つだ。しかしシンプルと簡単はイコールではない。世の中では往々にして、シンプルなことほど奥が深く、また難しいものだと相場が決まっている。
まず両手足を縛られたカナコを動かすのが容易ではなかった。
触れるとおびえたように肩をすくめ、部屋に僕しか居ないのだとわかると「んー、んー!」と塞がれた口で必死に何かを訴えてくる。縛られた両手足には変なふうに力がこもっていて、残業続きの疲れた身では持ち上げることができない。僕は転がすように「カナコだったもの」を隅に押して、汚れた床をバスタオルで淡々と拭いた。
不思議な気分だった。
身体には確かに残業疲れの重だるさがあるはずなのに、それがまるで他人事のように遠く感じられる。状況にしてもそうだ。恋人と呼ばれる存在だったはずの「もの」が、今は全身を拘束されて転がり、僕は無心でそれが汚した床を拭いている。
バスタオルはゴミ箱に捨てたが、床に染み付いたにおいが気になった。
後始末の2つめは痕跡の消去だ。カナコはここに来なかったし、ヤカタさんとも会っていない。誰が見てもそう思うように「始末」をつけなければならない。
床く軽く拭いただけでは不十分な気がしたが、あいにくまともな掃除道具を持っていない。仕方なく、クローゼットに押しこんでいた除菌消臭スプレーを床にまく。身を震わせるカナコの下半身にも振りかけておいた。これでラベルに書いてあるとおり、99.9%の除菌と消臭が完了したはずだ、と僕は判断する。
残る後始末はあと一つ、カナコの不安を取り除いてやることだけだ。
どうしたらおとなしくさせられるだろうか、とカナコを見下ろしながら考えた。呼吸は不規則で、小刻みに頭を横に震わせている。一番落ち着く彼氏の家にいるというのに、まるで誘拐被害の再現ドラマにでている駆け出しの女優のような怯えかた。
あたりを見渡す。
シンクには白い箱が置いてある。拳銃をこめかみに当てる? いや、もっとおびえるに違いない。冷蔵庫にある好物の焼きプリンを食べさせる? いやいや、口のガムテープを取るのは得策じゃないだろう。
使えそうなものは特にない。困った、と僕は腰に手をやった。
すると、僕の気配を見失ったカナコはじっと息をつめてあたりを伺いだした。放置されたと思ったのか、戸惑ったようなくぐもった声を出す。耳を澄ませて、こっちを探しているようだった。これだ。謎解きゲームの最後のピースを見つけたような感覚で、座椅子の横に放り投げてあったイヤホンをカナコの耳にねじ込んだ。
わずかに音漏れしてくるのは、サブスクリプション・サービスのランキング上位を独占する、素性が謎に包まれた二人組ユニットの曲。音量はやや大きめだが、周りの音を遮断するにはそのくらいのほうがいい。それは身をもって知っている。
突然差し込まれたイヤホンと曲に戸惑っていたのもつかの間で、「カナコだったもの」は次第におとなしくなった。彼女とは付き合った当初から音楽の好みが正反対だった。何曲オススメしてもカナコが聞いたためしはなかったし、運転中にお気に入りの曲をかけようものなら、すぐ不機嫌になるのが常だった。それが今では、カナル式イヤホンから音漏れするほどの音量で、僕がここ最近エンドレスリピートするほど夢中になっている曲を、文句も言わずにじっと聞いている。
考えてみれば当たり前かもしれない。目の前にあるのは勝ち気なでわがままな恋人ではなく、かつてそうであったもの、だから。
落ちていた小さな鞄からスマホを引き抜き、カナコ側のメッセージと送信履歴を削除した。自分のトーク画面もクリーンな状態にしておく。これですべての後始末が終わった。
不思議な達成感があった。
漏れ聞こえてくる印象的なハイハット・シンバルの音が、頭の中に残ったリズムと同調して、気分を高まらせる。赤と白の光の明滅が鮮やかに浮かんでくるような心地さえする。