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関から名古屋へ、「愛岐大橋」の持つ役目

土木の偉人(プチコーナー)

表の並木には桜を、裏の並木には栗を

加藤清正

これは、熊本城を築城した加藤清正公の名言としても有名な言葉です。
この意味は、ある寺の表には参拝者を出迎える桜並木が植えられ、裏には非常食としても役に立つ栗の木が植えられている様を清正公が表と裏、両面への心がけをおろそかにしてはならないとして語られたそうです。
まさに土木事業に非常に力を入れていた清正公だからこその言葉だと感じますね。

今回から冒頭のアイスブレイクとして、土木の偉人の考え方に触れてみるプチコーナーを作ってみようと思います。
これまた私の自己満な企画ですので、一緒に楽しんでもらえますと幸いです笑。
というわけで、初回の偉人は戦国武将の加藤清正でした。そのうち熊本城築城と白川の治水についても取り上げていきたいですね。

さて、第七回ふらっとインフラはまたまた木曽川に架かる橋ですね汗、愛岐大橋です。
今回のテーマは交通と橋の劣化についてで進めていこうと考えていたのですが、愛岐大橋はドンピシャな橋梁だったんですね。というわけで、本編お楽しみください!


本編

錆びまくってますね😓 2024/11/28撮影

愛岐大橋の概要

この愛岐大橋は、愛知県江南市と岐阜県各務原市を結ぶ県道17号線を通す橋梁になります。
1969年に開通したこの橋は、全長がおよそ610mにも及び、片側1車線のワーレントラス橋です。1969年からすでに55年が経過しており、かなり劣化が目立ちますね。

交通網としての愛岐大橋

愛岐大橋の魅力を考えた時に、交通網としての愛岐大橋というのが一つ浮かびました。

国土地理院地図で見た愛岐大橋の位置

愛知県から岐阜県へ、岐阜県から愛知県へ渡ろうとすると、山を越えるか川を渡るかの2択しかないということに最近気づいたのですが、平野内での移動は当然川を渡りますよね。そこで川に橋をかけようとすると、そこには暴れ川の木曽川さんが流れているわけです。彼は濃尾平野を築いた筆頭大河ですから、そう易々と我々人間を渡らせるような川ではありません。

川幅の広さ、深さ、流れの速さに地盤の状態など、いろいろな条件が揃わないと橋というのは架けることが出来ませんし、架けれたとしても木曽川のような大きい河川には長い橋をかける必要があるので、非常に工事費用が高くなります。そのため、一事業には多くの時間と人とお金が必要になり、橋の本数を増やせないんですね。

交通という視点でこの橋を見てみると非常に重要なラインを担っていることがわかります。愛岐大橋を北上してみると岐阜県各務原市に入りますが、ここには愛知県のGDPを担う自動車メーカーの下請け部品メーカーを中心に工業団地が形成されています。
さらには大型ショッピングモールや関、美濃、郡上へ続く道にも繋がっています。
一方で、南側の愛知県を見てみるとこの道路は江南市から扶桑町へと入り、国道41号へとつながり、小牧インターから東名高速、名古屋高速にもつながっています。この橋がつなげる道路網は物流や人流において非常に重要な役割を担っているわけです。

しかし、この橋、いつ見ても渋滞しています。
610mの間にぎっしりと乗用車や大型のトラックが詰め込まれてますから、進もうと思っても中々そうはいきません。
このような原因にはいろいろありますが、輸送の要となっているのにも関わらず片側1車線の道路であることや、すぐ近くに迂回できるようないい橋がないことも起因の一つでしょう。
最近では、川島大橋が工事中で通れないため、余計に交通が集中しているのかもしれません。

トラス一本で頑張る

交通の観点から非常に面白い橋であることが伝わっていたらいいのですが、この橋を見るポイントはもう一つその構造と状態にもあります。構造を見ていただければこの橋がトラスで組まれた橋だということはわかりますよね。
1969年に開通してからトラス一筋でこの橋を支えてきたわけですが、見るからにボロいです。
横に歩道があったので僕も歩いて渡ろうとしたのですが、高欄が思いの外低くて、あと若干ガタついてるのもあってちょっと河川の真上まではいけず、加えて風も強かったので、50mも進んでないくらいのところで引き返しました苦笑。

ガタついていた高欄

見た目はボロいですが、床版を支える下の高力ボルトは塗装が上書きされていたのでまだこの橋は持ちそうです笑。
とはいえ、いつかこの青色の橋が綺麗になって架かっているのも見てみたいですね。

新愛岐大橋によってどんな変化が起こるか

新愛岐大橋の建設現場(愛知県扶桑町)

さて、最後にこの橋のすぐ横に現在建設中の新愛岐大橋について軽く触れたいと思います。
岐阜県が主に事業の中心となって建設に取りかかっていますが、この橋が開通することでどんな変化が起こるでしょうか。またどんな変化が期待できるでしょうか。

まず間違いなく、現存の愛岐大橋の渋滞緩和につながるのではないでしょうか。各務原へと出る方向が若干遠いですが、愛知県サイドはそこまで差がありません。関ー扶桑間の新たな地域幹線道路として重要な役割を担うことになるでしょう。
加えて、愛岐大橋を通行止めにしてしっかりと改修工事ができるようになります。岐阜県、愛知県にそこまでの意思と予算があるかはわかりませんが、新愛岐の建設で愛岐大橋を止めて工事したとしても物流への影響が今よりは大きくありません。
今の東名、新東名がまさしくそれですね。

新愛岐の建設で岐阜愛知間の移動への影響がどのように変化していくのか、是非追っていたいきたいですね。

締め

というわけで、今回は愛岐大橋について取り上げてみましたがいかがだったでしょうか。
この橋、調べても全然情報出てこないので、僕も目で見て感じたことを中心に書いていきましたが、より詳細なこと知りたいので、是非とも関わっていた方でこの記事を読んだ方はインタビューさせていただきたいですね。

ここのところ橋の話が多かったので、次回は歴史から豊臣の土木について話せたらと思います。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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