隔離生活のその後と甥2号・3号。
弟1号家族で猛威をふるったインフルエンザは、罹患した全員が39度以上の熱が出て、特にひどかった姪1号は40度以上の熱が出たようだ。
私は3日ほどはなれに引きこもり、70代の両親とは一緒に食事はせず、お風呂も時間をずらして入っていた。
ひとまず両親も私も健康なまま1週間がすぎた。
小学生の甥2号・3号の『合わせて戦闘力1.5のコンビ』は元気だったのだが、甥1号が回復したあたりで甥3号が罹患。
しかし服薬したら割と元気になって、甥1号に付き合ってもらってポケモンカードで遊んでいたらしい。
それでも「僕、インフルエンザA型だからね」と言って病人ヅラをし、私の母からの差し入れの食欲がない姪のためのいちごやゼリーやプリンを食べ漁っていたという。
3月末生まれで「なんとか小学1年生だけどほぼ年長さん」の甥3号は、言動がTHE子どもで見ていて面白く、私はいつも「ああ、このままでいてほしい…大人にならないでほしい…」と言ってしまう。(そして必ず弟1号に「それは困る」とツッコまれる。)
押しボタン式信号でボタンを押し忘れ、5分以上健気に待っていて、「メスった」(ミスった)と言いながら帰ってくるなど、毎分毎秒、何かが面白い。
6人家族全員が罹患し、最後の生存者の甥2号は毎日元気に学校に行っている。
いつもは姉・弟とワーギャー言いながら行く道中を、1人で。
彼を奮い立たせるものは日曜日のソフトボールの試合。
エースとしてマウンドに立つ義務があるという。
インフルエンザにかかっている場合ではない、という気合いを彼から感じる。
歳の離れた弟が生まれるまでコイツが末っ子で甘えん坊だった。
2歳ずつ歳の違うにぃにとねぇねが遊ぶのについて行きたくて、更衣や靴の脱ぎ履きは1人でどんどんできるようになっていった記憶がある。
それでも甘えん坊でTHE末っ子だった。
しかし6歳の時に弟が生まれてからというもの、弟に対していろいろと世話をやくようになった。
お風呂に一緒に入って身体の洗い方を教えたりもしているらしい。
1歳にもなっていない弟(甥3号)に対して「にぃにがやってあげるからね!」と、兄マウントをとっていたことを思い出す。
そんな甥3号がチームのエースとなり、責任感と危機感を感じながらインフルエンザ渦中の家族の中で過ごす日が来るとは。
試合当日や前日夜に発熱するのが甥3号あるあるなのだが、そうならないことを心から願っている。
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