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人はナゼ歳をとるのか ?!

老いるとなぜ目が悪くなる? なぜ耳が遠くなる? そして、なぜ足が悪くなる?
誰でもある年齢になると考える悩み(不安)だが、ある時天から答えが降ってきた。。。

・もう十分に世の中を見て回った。今更近いところに目下りしなくとも、世の中で今何が起きているか、また今後なにが起きるか十分予測がつく。見る必要がなくなる。だから老眼になる。
・もう十分に人々の話を聞いた。今更人のこそこそ話など聞かなくとも、世の中のことが十分理解できる。聞く必要がなくなる。だから耳が遠くなる。
・もう十分にあちこち歩き回った。もう歩き回らなくても、理解できるし、また友が、そして部下が色々な情報をもたらしてくれる。歩く必要がなくなる。だから足が悪くなる。


そして最近さらに悟ったことがある。老化とは安心して死ぬために神様が用意した準備期間ではなかろうかと?

足が悪くなると出歩くのが億劫になる。目が悪くなると新聞や本を読むのが億劫になる、耳が遠くなると、人の話を聞くのがおっくうになる。
新しことに挑戦するのが億劫になり、旅行に行くのが億劫になり、しまいには起き上がることすら億劫になる。 
そして、ついには生きることが億劫になり死を迎える。

この週末老人ホームに暮らす91歳の父母に久しぶりに家族で会いに行った。孫(6歳)との再会に父母はとてもうれしそうだった。一方、母は息子の話を聞くことも億劫なように感じた。
短時間の面会後、別れの時に年老いた母が、孫の手を握った。「あと何回握れるだろう?」きっと母はそう思ったに違いない。。 
その日の夜、息子が少し悲し気にこう言った「年を取ると力が出なくなるんだね。バーバと握手したとき全然力が入っていなかった。。」
本やPCでは決して学べない実体験を通して息子なりに色々なことを学んでいるようだ。

核家族化が進み、老人と子供が接する機会が減った。家で死を迎えることも殆どなくなった。 
そのため、最近の子供は老いることや、死ということを実感できずに大人になるという。
だから老人を、そして自分の人生も大切にしないと感じる。

もう残り本当に短い期間であろうが、わが子には、老い、そして死ぬ意義と悲しみを実体験として感じてくれたらな、と感じた週末だった。

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