わたしと音楽1
わたしの人生の中で切っても切り離せないもの。
それは、音楽。
今回は、わたしと音楽について書いていこうと思う。
あまりにも長くなってしまうので、今回は習い事や部活動の辺りをフォーカスして綴っていく。
音楽の話となると、色んな話がある気がするのでいくつか書いていければいいなと思っている。
・わたしと音楽と習い事
わたしの両親は音楽好きだった。
J-POP好きだった両親は、よく色んな曲を聞いていた。
どちらかと言うと、父の方がマニアックなアーティストを聞いていたし、ジャンルもかなり色々と聞いていた記憶がある。
車でどこかに出かける際に、父がよく色んなアーティストのCDをかけていた。
なので、音楽は比較的近い場所にはあったのだと思う。
わたしは物心ついた頃から、よくTVで歌っているのを真似て歌っていたそうだ。
おもちゃのマイクを手にし、アイドルさながらに自宅でライブをしていたらしいがわたし自身はあまり記憶がない。
そう思うと、わたしは根っからの歌好きだったのかもしれない。
そして、聞いた曲をすぐに口ずさんだりもしていたらしいので、音感や聴力が多少は良かったのかもしれない。
後々知らされることだが、実は、母方の家系は祖父が職場でラッパ吹き、祖母は学校などのママさんコーラス、伯父、母が音楽部で色々と活躍していた。
もしかすると、わたしの歌好きだったり音楽との親和性、音感に関しては母の血が濃いのかもしれない。
そして、この音楽の話は前回記事に繋がることになる。
子どもの頃に習い事をしていた中の1つに、音楽系の習い事がある。
最初に入ったのは、某有名音楽教室。
そこから近所の個人でやっている先生の所に変わり、受験対策は後に記述する部活動関連の先生で学んだ。
電子楽器を長年学んだ後に、生楽器への移行は指のタッチ、力の入れ具合、手の動きなど違う所が沢山あったので苦戦した。
あとは、電子楽器のグレード試験ではある程度上の級になると編曲が必須となる。
わたしは、編曲や作曲(作る方)のセンスが皆無な為これには非常に苦戦した。
この時点で、自分には作曲者などには向いていないという事実を知り挫折を味わう。
もし今、またやりたいとなれば既存の楽譜を奏でることだけやりたいとは思っている。
・部活動
高校時代に、コーラス部に入った。
決め手は、顧問が個性的であったこと、部活動紹介時の演奏に心が踊ったことだった。
そして、物心ついた頃から歌が好きで合唱に興味があったことも大きい。
あと、わたしは固定ド唱法の人間なので、移管楽器と移動ドが大の苦手だ。
というか、移動ドでは歌えない、楽譜が読めない。
なので、自動的に吹奏楽部は除外されることになっていた。
コーラス部では、役職に就くことはなかったものの結局部長やパートリーダーがやるべき仕事をやる羽目になっていた。
それは、顧問とわたしの関係性が師匠と弟子という関係になっていたということも理由の1つになるだろう。
顧問からは、沢山の事を学んだ。
今でもその教えはわたしの中に根付いているのか、アカペラの曲を聞く時は特にシビアに聴いてしまう癖がある。
この部活動がきっかけで、わたしは進路変更したいと強く思い実行に移した。
その時に、救いの手をさしのべてくれたのが顧問=師匠だった。
高校を卒業した後も、別の合唱団で師匠の元で歌っていた。
師匠も、金づる半分意味不明な所半分で、何故かわたしのことを気にかけて下さっていた。
印象的だった師匠の言葉は
「お前のその綺麗な声は生まれ持ったものだから、絶対に変な癖を付けたくない。俺がお前のその声を守る。」
だった。
ひょっとしたら、師匠が理想とする声にわたしの声は近かったのだろうか。
わたし自身も、師匠が目指している声、理想の音色は同じだった。
だからこそ、わたしと師匠とは話が合っていたのかもしれないし、師匠の言うことが他の人には意味不明でもわたしには理解できていたのかもしれない。
今では何をしているか分からないし、わたし自身ももう歌ってはいないがこの師匠との出会いはとても良い経験になったと感じている(音楽面だけは)。
長くなり過ぎてしまったので、この話の続きは、また今度綴ることにしよう。
語尾の始末や、書き方にもまだまだ迷走中なわたし。
それでも、読んで下さっているあなた、♡を下さっているあなたに感謝。