牛丼屋に学ぶ(非)サービス力
こんばんは、2nd GYM五十嵐です。
普段の食事はスーパーで購入したものをベースとして、最近まで食事を時間と摂取カロリーを節約するためにパンにしたり、時間がないときに近所の中華で簡単に済ませることも多くありました。これによって体重が増えたりお腹が出ることもなく、野菜も多く摂るので体調は良好だったのですが、筋肉量が育っておらずタンパク質量の不足を感じていたところでした。
そんな中で近所の中華料理店が休業になり、時短とタンパク質量を増やすことを意識するためにもう少しだけ離れた場所の、ある牛丼チェーンで食事をとることが増えました。前置きが長くなったのですがその牛丼屋の接客についてどうも気になることがあり、今日の投稿にいたります。
不可欠のマインド
その牛丼屋では、他の牛丼チェーンと比較して「無添加」を謳っておられます。多くのメニューで化学調味料・人工甘味料・合成着色料・合成保存料を使用していないということを好んで、「食卓」として昔は常連的に通っていました。しかし、サービス業に従事する私にとって、やはり食事を提供する接客も含めてが「食事」であり、サービスや雰囲気が悪いと自然と足が遠のいてしまいます。
飲食店に関しては特に、提供される食事や建物やお店の雰囲気以上に、ホールスタッフや調理スタッフなどそこで働く人が、顧客満足度を大きく影響を与えるじゃないですか。お客さんに対して美味しく召し上がってほしいというマインドがあればたいてい気分よく「いい食事(時間)がとれた」と思ってもらえるものだと思っています。余程品質が粗悪なものじゃなければ味付けで大敗は避けられるはずです。ちなみに従業員の満足度も、客に喜んでもらえることで高くなるものだと思っています。
これってトレーナーでも同じことがいえると思っていて、どれだけ腕があっても、無愛想であったり相手に受け入れられるような態度やメンタリティがなければそもそも依頼されることはありません。ある程度相手のニーズに合わせて指導できれば続けて受けてもらう可能性はありますが、入口として相手を尊重しようとするメンタリティは不可欠です。
近所の牛丼屋さんはすっごい態度や接客マナーが悪いとかではないです。他のお客さんもさほど気にしている様子はなく個人的なセンサーが作動しているだけなのですが、何度もそれを見受けているとどうしても見過ごせなく、気になりだしたら仕方がなくなってしまいました。
心を通わせること
それが何かっていうと、お客さんが帰るときの「ごちそうさまでした。」に対して反応しない上に全く気に留めてる様子がないんですよね。自動ドアの開閉だけにしか反応していません。忙しいのはわかるし、調理中にどうしても目を離せないこともあるでしょう。もしかしたら会社に対する不満や組織の関係性がうまくいっていなかったり、プライベートで何か問題を抱えているということもあるかもしれません。
「みんなの食卓でありたい」ってお店でも曲が流れてるし、調べてみると会社のコンセプトになっています。毎日の食卓が気持ちいい挨拶、または温かい雰囲気に囲まれていなくて、極端かもしれないけどいい人生なんて過ごせないと思うんです。そういう視点で見ると、その従業員の方の人生そのものへの幸福感を疑わざるをえません。
なぜかその店舗だけでなく、出先で立ち寄った別の店舗も同様なので、低価格がゆえに質の悪い客が多いのかもしれません。そういうお客さんに対する従業員の一つのストライキ行為として、あえてお客さんのアクションに対して反応しないように脳が刷り込まれているのか、またはそれだけ自分を守らなければならない理由があるのだと考えてしまいました。
「終わり良ければ総て良し」じゃないですけど、私もトレーニングの提供後にその場を去るときは必ず視線を合わせて挨拶します。ちょっと話がそれますが、トレーニーで横柄な態度をとる人がごく稀にいるんですけど、お門違いというか、こちらとしては「ご自身でどうぞ」っていう感じになってしまうので必然と仕事がやりやすい人しか残らなくなります。我々トレーナーもトレーニングを受ける際は、自分の肉体の限界を知っているだけに常に謙虚です。
話を牛丼屋に戻します。ほんのちょっとだけ、帰るタイミングに視線を向けて、「ごちそうさまでした。」と言ってくれる人に対してだけでも、視線を合わせて会釈だけでもいいから心の通ったやりとりができたら、少なくてもそういったマインドが見られたら、少なくともぼくはもっと高頻度で通ってしまうよなーと思いました。
もう何年も前から感じていた事だったので、ちょっと情緒的になってしまって焦点がボケた内容になってしまいました。
食事もトレーニングもそこまで求めるなら他所へ行けばいいだけの話です。2nd GYMのサービスもより多くの方に受け入れてもらえるように頑張ろうと思いました。