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修行は続くよ、どこまでも。

前回のお話はこちら↓

現実逃避と幽体離脱。笑


あの時のわたしは本当にどこかへ行っていた←魂が、かな。。
自分の身に起こっていることを
客観的に見ている自分がいて
いつだったか、ヘルメットで頭を殴られたときに
気が付いたら、リビングに横たわる自分を見下ろしていた。

もしかしたらそんな夢だったのかもしれない。
現実逃避がひどすぎて、幽体離脱の夢を見る?

夢であっても、現実でも同じだけどね。

幼少期からずっと続く暴力に慣れると言うことは無い。
でも、他の人のことはわからないが
絶対、人より痛みに強いと思う。

そんなの、全然自慢にならないけど。笑


居場所の無いわたし。


2番目の結婚の時、家業は商店だった。
東京都下の駅前にビルを建てて
その1階で営む年商3億ほどの店。

他にも支店を持ち、土地もあったりして
そこそこ裕福な家だった。

1番目の時に出来た子どもを連れてここに入り
結婚する前から家業を手伝わされた。

働くのは大好きなので、嫌では無いけれど
元々の性格が強要されるのが嫌い。

おまけに姑がとんでもないキャラの持ち主で
性格がめちゃくちゃキツく
毎日鬼と仕事してるみたいだった。

それでも、気に入って貰えるように
お義母さんの言うことは「はい!」と聞き
朝から晩までお店のために働いた。

駅前のビルには親戚のビルが並び
どこもかしこも知り合いばかりで
いつもお義母さんに
「みっともない真似はするな」と
言い含められていた。

お店が終わると義父、義母、義姉と
わたしたち家族で近所のお店に食事に行くことも度々。

昨日はふぐ、今日は寿司、明日は焼肉と
毎日ご馳走ばかり食べていた。

外食すると義父母の目もそうだけど
お店の人も、わたしたち親子を
品定めするかのように観察しているのがわかる。

家業の従業員も周りの人もみんな
あっち側(義父母など婚家)の人なので

わたしはひとり完全アウェイ状態だった。
(息子は孫がいなかったせいか、とても可愛がられた)

家にいても、仕事をしててもどこにも
わたしの居場所は無かったのだ。

心の支えは仲良しグループ

そんなわたしが、びっくりするほどの勇気で
ひとり旅に出かけ、
しかも心を許せる友だちと出会えたことは

この現実ときちんと向き合うように。

と言うお告げみたいなもんだったと思う。

最初にご飯を食べに行った時の楽しさが忘れられずに
わたしは何度も企画してご飯会をした。

時には電車で遠くのVeganの中華やさんへ
近くのイタリアンや居酒屋さんも。

いつしか仲良しグループが出来ていた。

あの時の佐藤さんと○○さん(後の3番目の夫)と
仲良しの年下のお友だちのアイちゃんと4人で
飲みに行ったりすることが多くなった。

と、言ってもわたしは地獄の住人なので
せいぜい1ヶ月に1~2回のことだけど
その4人でいると本当にラクだったのだ。

○○さんは穏やかに話す人でシャイで
細やかな気遣いも素晴らしかったけど
時折ボソッと言う冗談が面白くて

こんな人が夫だったらどんなに幸せなんだろう。

そんな風に思うようになった。

でも、彼は7つも年下だったし
他に狙ってる独身女子も結構いたし
何よりわたしは結婚しているので
それは夢でしか無かったけれど。


シラフでも、酒乱でもどっちにしろ殴る。笑


年が明け、元旦の午後のことだった。

夫はとても細かくて
朝昼晩の食事が座ったとたん
出てこないと機嫌が悪くなる人だった。

だから、帰る時間に合わせて
ご飯を炊き、お味噌汁を温め
おかずを作る。

毎日ドキドキしながらご飯を作っていたように思う。

また、お酒がとても好きで
お酒を飲むと暴力を振るうから
酒乱でもあったのだ。


そんな夫なので、元旦は朝からお酒を飲む。
お昼を食べてまた飲んで
そのあと昼寝をする。

「5時に起きるから酒の用意しとけよ」

彼はそう言って2階に上がって行った。

わたしも一緒に飲んでいたので
ちょっと眠くなり、リビングのソファーで横になる。

元旦のお祝いムードの中
のんびりとした心地良さに
わたしは、あっという間に眠ってしまった。

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