いったい、わたしはなにを許したいのか
今日、会社の人が小室圭さんの話をしていた。
いろいろな意見があるとは思うけど、私が抱いている感想とはまったく逆の感想を、身近な人がもっているということに、驚いてしまった。
できるだけ、私は色んな人を許したいを思う。別にわたしが許すような立場でもなんでもないのだけど。味方になる。というより許す。許したい。
認める?ともなんか違う。許す。というと少し偉そうな感じがしなくもないけど、許したい。というのがしっくりくる。
人を許すとき、自分も許されたような、そんな感じがするからだろうか。人に厳しくすることは、自分も正さなければならない感じがするし、責任も発生するから、それから逃れたいだけなのか。(こうかんがえると自分のことが嫌になってくるなぁ)
なんとなく志していたことを諦めたり、やめたりしてしまった自分のことを慰めたいのか。許したいのか。家族を傷つけた父親のことを許したいのか。不器用な夫のことを許したいのか。
そんなことをもやもやと考える。いったい私は何から許されたいのか。そして何を許したいんだろう。
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