恒常性
元日から震度7の地震が発生し大津波警報発令からの出勤、翌日には海保の航空機が民間機と衝突する、そんな新年のスタート。
こんな時に思い出すのは、12年前に自転車で北日本巡りをしていたときに、東北で地元民に言われた『災害を教訓にして後世へ伝えて欲しい』という言葉である。
当時、狩りに夢中になって単位を落としバイトすらしていなかったワソ学生のマンモス青年は、初夢が「自転車旅」だったことから、バイトを掛け持ちで始めクロモリロードを買い、2011年夏に自転車旅を決行する。
彩の国さいたま県からスタートし、海側はもちろん走れないので内陸ルートで北上、北関東のモノホンの"會"にコンビニで絡まれつつ(どこから来たん?と聞かれただけ)、宮城に入る。工事用車両の往来が頻繁になってきたところで、自転車で被災地に行くなんて迷惑では、と考えはじめる。
そのへんの定食屋や温泉で「自転車で行っても迷惑じゃないだろうか」と何人かに聞いてみる。(今思えばとんでもないバイタリティである)
すると全員が、若い人ほど被災地を見るべき、何か感じることがあるから、後世にそれを伝えて欲しいと。行く決意をして、なるべく迷惑にならないよう荷物は最小限にして、気仙沼まで輪行して陸前高田へ。広がってるのは何も無い景色。
当時出たばかりのスマートフォンという最新機器を使い、Googleマップで現在地を確認。確かに場所はあってる。でも何も無い。本当に何も。
奇跡の一本松なんてものがあった気がするが、何も無い平野に木が一本だけ残ってるのは、終末感を助長してて逆に絶望なのでは、と感じたのを覚えてる。
前置きが長くなったけど、そこで暮らしてる人たちは本当に普通に暮らしていた(ように見えた)。それが強さから来るものなのか、いつも通りの事しか出来ない心理状態なのかは分からない。
平時ってのは個々人の恒常性から作られるものだと思うので、いつも通りトレーニングして、メッシをたらふく食べて、子育てして、どのホイールを買うか悩む事こそ、世の中を前に進めるのだと信じて今日もバチバチに過ごしたい。悩むのは止めよう。
当時無力だったマンモス青年は、何かが起きれば誰かを助ける側になった。12年前からしたら凄い成長だ。12年後は世の中を救ってるかも知れないな。