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友だちが狂った(金で)

私の前職は高校の教員
教員を辞めた理由は、「働き方改革」によって「残業代」が支給されるようになり、職員みんなが「お金」の話ばかりするようになったから、だった。

「お金とかどうでもいい。
 もっと子どもの教育に、一生懸命になれる仕事がしたい。」

そう思って、私は教員を辞めた。

教員時代に仲良しになった友だちがいた。ここではXと呼ぶ。
Xは仕事に熱い奴で、私は一度、Xと仕事のことで意見がぶつかったことがあった。
でも、あるときの職場の飲み会で、Xと意気投合し、家も近かったこともあり、よくサシ飲みしたりしてた。
Xとは、教科も違うし、教員として目指す方向も全然違ってたけど、奴と教育論を交わすのが、私は楽しかった。

Xは自分の意思が強い分、先輩の先生から疎まれやすい存在でもあった。
でも、私はそんな不器用なXが憎めなくて、X の愚痴を聞いたり、あーだこーだと話し合えるのが本当に楽しかった。

しかし、そんなXも「働き方改革」によって変わってしまった。
Xは、「残業代」の話ばかりするようになってしまった。

当時、Xの配偶者は心を病んでしまい、仕事に行けない状態にあった。
Xは、Xの収入だけで、家族を支えなければいけない状況だった。

Xは変わった。

「今月の残業代はいくらだった。」
「残業申請に~と書くと申請が通りやすい」

Xの目つきは変わった。
以前のように、教科指導や生徒指導について、熱く語らなくなってしまった。

Xの残業代申請は加速した。
私が教員を辞めたあとも、Xは残業をしまくり、基本給以外のお金を1円でも多く稼ごうと必死になっていた。
そのころには、Xの配偶者も無事に復職していたが、もうXは、元のXには戻らなかった。

去年、Xは学級担任を降ろされた。
その理由について、管理職から理由を提示されることはないが、おそらく、Xは学校側から「仕事を多く任せると、お金がかかる従業員」と認定されたんだと思う。

担任を降ろされたXは、部活動の指導に力を入れるようになった。
部活動は、もちろん放課後行われる。
だから、部活動の指導をすれば、残業代が発生する。
Xは部活動をしまくった。

結果、今年Xは、部活動の顧問を辞めさせられた。


過重労働により命を失う教員は毎年たくさんいる。
私自身、「労働時間に対する対価」に不満を抱いていた時期もあった。
特に20代の頃は、月の残業時間が120時間くらいあったにも関わらず、残業代は0円だった。
でも、教員は30歳過ぎたあたりから、基本給+ボーナス+その他手当を合わせると、結構もらえるようになる。
これは、私が教員を辞めて、法律事務所に勤めて、色んな人の給与明細をみるようになってから、初めて知ったことだった。
教員は、かなりもらっている方だと思う。
持っている知識量、技術、仕事のやりがいを考えたら、教員は十分な給料がもらえる仕事だと思う。

就職1年目の街弁(街中でやってる小さな法律事務所の弁護士のこと)で、かつ社員弁護士(雇われ弁護士のこと)だと、年収600~720万円くらいが相場である。
就職1年目でそれだけもらえる仕事ってのはすごいけど、
街弁になるような弁護士は、4年制大学を出た後、ロースクール(大学院)に2~3年通って、司法修習(教員でいうところの教育実習)を1年弱くらいやって、やっとこさ弁護士になった人たちがほとんどである。
つまり、弁護士になる頃には、25~30歳くらいになっているのだ。

30~40代の教員の年収は、おそらく500~700万円前後ではないだろうか。
教員になるまでの努力、教員として稼働している時間、仕事の内容を考えた時、教員は相応の給料をもらっているのではないかと思う。

弁護士の先生たちの仕事をちょっと紹介する。
たとえば、
夜の21時に警察署に接見(面会)に行く。
(接見:警察署で勾留されている被疑者に会いに行くこと)
夜の22時から会議がある。(取引相手のお客さんが海外にいる。)
夜中の3時に契約書(案)を完成させ、お客さんに送付する。

そんな仕事、教員にはない。なぜなら生徒も保護者も夜は寝ているからだ。
ただ、昼間に終わらなかった仕事を、夜中に片づけることはあった。
でも、それはあくまでも自分の選択であって、お客さんから要求されていることではなかった。自分の時間の使い方の問題であった。

Xが変わってしまって悲しい。
でもお金は大切だ。
家族がいるなら、なおさらだ。
そんなことを考えた年度末・年度初めだった。
おしまい