【note146枚目】大人処女/家田荘子
「セックスしない」「したくてもできない」彼女達の性欲とはいかなるものか。そのものがない人たちを除いて、自慰行為はするのだろうか。読んでいてその点が気になった。
本著の刊行トークイベントが大阪で催されると知り、足を運んだ。自分自身非常に凡庸、どこにでもいるような人間であるという自意識から、「凡庸でないと感じる人達」の足跡を辿ろうと書物に当たる好みがある。ところが、今回はその真逆、「なんとなく心当たりがある」書物。
9人の三十路を越えて未経験の女性達の背後に迫る1冊となっている本書には、それぞれの中に自分自身に突き刺さる言葉、想いが散りばめられているように感じられた。
1番刺さったのは9人目の敦子さん。「アセクシュアル・アロマンティック」と、LGBTQに類する概念として認識してはいたけど、正直なところ「分類に分類を重ねて居場所としてる」んだろうなと感じていた。誰しも自分が生きてる住所を決めたいんだろうなって。「住所不定」では社会を生きづらい。だから住所を求める。それと同じなのかもしれないと敦子さんの章を読み進めるごとに少しずつ考えを和らげる事ができた。
では、自分はどうなんだろうか?、
本書に出てくる「しない」を選択した人たち、もしくは「したいけどできない」人たちと自分はどうか。
30歳を過ぎた今、処女というわけではない。それまでに1度経験を経てはいるけどそれ以降異性との性交渉はない。自分に値札をつけて「誰かに選ばれる」市場に出る勇気も、その場限りの声掛けに身を任せる勇気も、自分を売り出す勇気も、自ら踏み出す勇気もない。そもそもそうした繋がりを自ら渇望しているわけでも……どうやらなさそう。そう考えているだけかもしれない。
原体験としては、たぶんセックスしてみたくてたまらなかったと思う。携帯電話が普及し始めて、インターネットへのアクセスも比較的手のひらで完結し始めるような過渡期かつ、少女漫画も各誌競うように過激さを増しているような時期で性的な興味は尽きなかった。私自身、何が良かったのかも良くわかってないし、1時間以上経っても相手がイかなかったのがあんまり私の内部の具合が良くなかったのかな…って罪悪感も抱えつつ、ゴムがもしズレたり取れたりしていて、子供が出来ていたらどうしよう…という重苦しい気持ちが重なって何ひとつ「良いもの」と記憶されなかった事が重い性体験の原点となっているのかもしれない。
もう1点、敦子さんの「他人と生活しづらいかもしれない」というのも突き刺さった。
私は一人暮らしを始めて7年ほど経つのだけど、人の気配が無い生活がこんなに心地が良く、暮らしやすいものなのかと感じる。実家という空間がいかに息苦しかったのか。「どこで、誰に会って、何時に帰るのか」を親に伝えなければいけない、そうした実家での常識とされていたものが私にとっては苦痛でしかなかった。その常識を違和感なく自分のものにしていれば、例えば書中の静香さんのように、もしかしたらそれ自体が苦痛にはならなかったのかもしれない。血を分けた〜とか言われても、「自分以外は他人」という考えは今のところ変わる気配が無い。それなりに情はありながらもシェアハウスのような生活を送る書中の梓さんが理想系なのかもしれない。
ASDという特性……って書き方は好きじゃ無い。マイナスを認定された上で対人関係を考えると、子作りはおろか、結婚することも、ましてや恋愛に進むことも、他人と良好な関係を築くことすら人並み以上の難しさを感じている。日々、自分の心地よい環境を保持するために精一杯一般社会人のフリをして生きるだけで消耗している。
私は「大人処女」という売り物にもならない中途半端で惨めな存在なのだなと読んでいて感じた。
他人と良好な関係を築く事にハードルを感じる割に性的な興味は尽きないから18歳以上しか触れる事が出来ないコンテンツや自慰への興味は割と旺盛なんだけど、この本に出てくる方達はどうだったんだろうか?そんな事まで書いてたらキリないか。
休憩時間で呟いてたこれら、あまりにアレすぎて笑っちゃう。
※以下思い出した事を追記していく。
・司会のケチャップ河合さんとの掛け合いが軽妙。関西圏だとAV女優さんのイベントでよく司会進行されている方。
・昨今、若年層の梅毒患者が増えてると言われる一方で、未経験の30歳以上のボリュームも増えている。昔以上に二極化が進んでいるということなのかな。
・「性」に価値を見出せないから売り出す、反対に崇高なものとしているから「性」を許せない。そんな面もあるのでは。
・「大人処女」と「中年童貞」のマッチングは成立しないのか。家田荘子さんと中村淳彦さんでいつか対バンしてほしい(対バンて)
10月3日 追記
とても嬉しいコメントをいただいた。もう一度自分が書いたものを読み返してみると、確かに自分にとっての「自慰」は何たるかを書いていなかった。自分のことは一切出さずに隠して、他人が隠すことばっかり気になって、知りたがっていたんだなあ…と反省。
先に書いた通り、セックスが自分にとって良きものとして記憶されていなくて、現段階では進んで求めようという気はないんだけど、一人遊びたる自慰は割と不定期的にだけどしているかもしれない。セカンドバージン状態の自分は作中の彼女たちとニアなのかもしれないと考えると、「ある程度の欲はあるけれど、自分の手で解消して足りるくらい」なのかなと考えが至った。じゃあ、わざわざ本に記す必要もないか…。作中にも記述があったけれど、もしかしたら彼女たちも私も「知らないだけ」なのかもしれない。酔った勢いで、場の盛り上がりに乗って、とか私にはほとんど都市伝説なんだよなあ。
たぶん正しいやり方は身についていない。男性には正しい射精に導くトレーニンググッズがあるけど、女性にもそういうのはあるのだろうか?というか女性の正しい自慰ってなんだ?
先に載せてる呟き3つ、これも自慰行為だと思う。例えばネット上で自分の容姿を「おばあちゃんなんですよ」と称している人と実際にあった時に「うわ、本当におばあちゃんですね」と返すと恐らくその場でブロックされる。ネタにマジレスすんなの一言で片付く場面だけど、そんなことをわざわざ自称して実際対面した時に「そんなことないじゃないですか」の一言を得るまで含めた自慰と思っている。先の自分の呟き群は、感じたことをあえて自分を卑下する言葉を使ってを呟く自慰だし、自傷とも捉えられるかもしれないなあと、書きながらぼんやり思った。