ダンスは超絶技巧で、ドラマは粗雑というバランスの悪さ〜松竹ブロードウェイ・シネマ『42ndストリート』
9月半ばから年明けまで慌ただくなることが確定していたので、『ヘドウィグ』以降は演劇や映画のチケットを何も予約しないでいたのだが、みるみるうちに心がカラカラと乾いていったため、急遽10月19日に行ってきた。
松竹ブロードウェイ・シネマ第三弾『42ndストリート』。
1933年上映の映画『四十二番街』が、1980年にブロードウェイ・ミュージカルとして翻案され、2017年にウェストエンドでリバイバルされ、今回スクリーニングの運びとなった。
ちなみに、1980年のブロードウェイ版は大ヒットして、その後のミュージカル映画の舞台化ブームの火付け役となった。
東京の東劇以外は10月25日が初日のため、ネタバレを避けたい方はお気をつけて。
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1933年のニューヨーク。大恐慌で痛手を負った演出家ジュリアン・マーシュの新作『プリティ・レディ』のオーディションが実施される。不況による職不足にあえぐダンサーたちは、なんとか雇われようと必死に踊る。マーシュらは、資金繰りのために、自動車メーカーのオーナーをパトロンにつけた往年のスター、ドロシー・ブロックを主役に据える。パトロンのアブナー・ディロンは、キス・シーンの演出に口を出すなどブロックにご執心だが、ブロックには長年の恋人パットがいた。ディロンからの資金が頼りのマーシュは、ブロックから離れるようパットを脅迫する。他方、実力ピカイチだがオーディションに遅刻した新人ダンサー、ペギー・ソヤーは、偶然カンパニーに受け入れられることとなる。慌ただしく『プリティ・レディ』の稽古は進むが、フィラデルフィアの試演でソヤーがブロックに怪我を負わせる。マーシュはソヤーを解雇し、公演中止を決断する。ダンサーたちはソヤーをブロックの代役にすることを提案し、故郷に帰ろうとするソヤーを引き止めて稽古を再開する。たった二日間の稽古を経て、ソヤーは見事に『プリティ・レディ』の主役を張り、マーシュは演出家としてカムバックを果たす。
以上が『42ndストリート』のあらすじである。
大筋は映画『四十二番街』と変わっていない。映画版で使われた楽曲は4つのみだが、他の楽曲も作詞作曲はハリー・ワレンとアル・ドゥビンで、「ララバイ・オブ・ブロードウェイ」や「デイムズ」などヒット曲が並んでいる。
本作は冒頭から最後までタップ・タップ・タップの嵐である。
バックステージ形式かつ、劇中劇がレヴュー・スタイルなので、とにかく大掛かりなプロダクション・ナンバーが多く、ダンスへの気合いの入り方が半端ではなかった。
もし『42ndストリート』のタップに洒脱さを求めているなら、悪いことは言わないので、フレッド・アステアの映画を見た方がいい。
この作品のタップは、いかに繊細なステップが求められている時でも、常に「力 is パワー」というサブタイトルが透けて見えるくらい、筋力と持続力を鼓舞して誇示するタイプである。
随所に盛り込まれる大人数の超絶技巧ダンス・シークエンスは、もはやインストラクターばかりの集団エクササイズを見ている気分になる。端的に言えば、気分はアガる。
だが、ダンスによってアガる気分も、ドラマ部分の時代錯誤さによって急速にサゲられたので、結局宙ぶらりんなテンションで終始過ごさざるをえなかった。
映画『四十二番街』でバークリーが試行した「万華鏡ショット」の、舞台上での再現が今回のスクリーニングの売りらしいが、1970・80年代くらいからバークリー作品における女性のフェティッシュ化は批判が重ねられているのに、今更2019年でなんの注釈もなしにやられても辟易するばかりである。
「デイムズ」の「美」とは「若さ」という等式を歌い上げる歌詞もおサムイし、スターを怪我させた責任とカンパニーを失職させない責任をダブルに負って稽古に励む若い女性に対し無批判に「大変ねぇがんばれ〜」と流せない(どんなにビッグなスターを主役に配していても、アンダースタディは立てておきましょう)。
また、稽古の過程で演出家のマーシュが若いソヤーに「恋を知らないのか!」と叱責してキスする場面とか、手垢のついた性差別的な仕掛けである。のちにマーシュとソヤーが恋愛関係に発展する予感が散らされているが、(マーシュとソヤーの間に限らず)この作品のドラマ・パートは全体的に描写が浅いので取ってつけたような感じが否めない。
1933年から1980年、そして2019年の間に否応無く生じていった感性や価値観のギャップに対するこの無頓着さは、躍動感溢れるダンスでアゲにアゲられた気分を氷点下までサゲるに足るものだった。
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