買えないソファ
社会人になって3年目。
ひとり暮らしも3年目。
ひとりで自分の面倒をみたり生活を整えることも慣れてきた。少しずつ部屋の中も自分の気に入るものを増やしていっている。自分の部屋が自分の部屋になりつつある。
ソファを買いたいなと思って気に入るものに目星をつけていた。白くてフカフカのソファ。私が住んでいる1DKの部屋にぴったりの、私のためのソファ。
でも私は今それを買えずにいる。
本当はずいぶん前から気づいていた。
“ひとりである“ということ、それは私にとっての完成ではない。
「ひとり暮らしが楽だしもう誰かと暮らすことなんて考えられない。」って友達が言っていた。
そういう彼女を私は少し羨ましい気もする。
でも私はそれにはきっとなれない。
私は産まれてから18歳になって進学の都合で家を出るまで両親と姉たちと家にいた。家族の一員として生活をしているということはあたりまえだった。私はその一員として完成されていた。
後にそれは両親がつくってくれたものだと気づいたが、私にとってそれは当たり前に存在するものだった。
私はひとりで完成できない。
それは産まれて育ってきた環境の呪縛にも近いもので、友人のようにその呪縛から解かれた人もいればその呪縛から解かれない私のような人もいる。この呪縛はそれが悪い悪くないというような対象ではなく、そういうものが人にはある。
ソファを部屋に置くことは私にとって“ひとりで暮らす自分”が完成に近づいていることだった。その完成は私が望んだ完成ではない。
これ以上そこに踏み込んでしまうと戻れなくなりそうな自分に気づいてしまった。
身軽に、いつでもどこにでもいけるようにしておかなきゃいけない。自由であらねばならない。私の理想を叶える選択肢を守るために。
かつての私にとっての完成形をつくってくれた両親のように、私にとっての人と暮らすという完成形を私の手でつくりたい。
それは両親がしたように結婚をして家族をつくることかもしれないし、もしくは私が昔から憧れるめぞん一刻のように、気の置けない友達と一緒に住むということかもしれない。これからわたしの完成形への選択肢はもしかしたらもっと多様になっていくのかもしれない。
人と暮らす完成に向かえるように。
私はまだ、ソファを買えない。
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