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あまりにも受けとめる力がなくここまできてしまった

いつものようになにげなく
スマホをぼーっとみてた。
友だちの家で。

そのとき友だちはキッチンに立ってて、
わたしの「えっ」という声に、
「え、なに?」と聞いた。
「いや、なんでもない…」
と答えたけどほんとは
全然何でもなくはなかった。

ともだちが死んだ。

すぐ思い出した。
その数日前のインスタ。
その子のストーリーズの更新があった。
その投稿に対してわたしはなにか
声をかけたかったけど何の言葉を
かけたらいいかわからなくて
心の中でがんばれ、と思って
画面を次の投稿にとばした。


そんな終わり方があるとは知らなかったから。

何て声をかけたらよかったかなって
いまでもよく考える。
だからどうなるわけではないけれど。


後日、一緒にお線香をあげに
いかないかと誘ってもらって
その子のお家へ。

遺影の中の笑顔はいつもの笑顔だった。
こういうときってだいたい
昔こんなことがあったんだよねって
故人の思い出話を語ったりするんだろうけど、
たぶんまだわたしたちはそういうふうに
思い出せるような余裕がなくて、
みんなほかの話題を話した。

でも同じ気持ちでいる人がいるということは
言わずともわかるし、それで十分だったと思う。

遺品整理をしているという物の中に
わたしが作ってあげたネイルチップがあった。
持って帰るかちょっとなやんだけど
わたしが持ってるのもなにか違うかと思って
やめておいた。
ほんとはあの子の爪にぴったりのネイルチップを見て
その喜んだ顔を思い出すということも
まだ受け止められなかっただけだと思う。

思い出を話したら過去になってしまうけど、
まだ過去にはできなかったし、
直視できるほどの技量も経験値もなかった。


彼女の死を知った日、わたしは
友だちの家で普段通り過ごした。

でもさすがに夜寝る前は
そのことをぐるぐる考えて
なかなか眠れなかったけれど。

次の日は朝から近所の桜を見て
花見をしようと話していて、
パン屋でパンを買って、
川原でレジャーシートを敷いて
満開の桜の下でパンを食べた。

わたしの生活が普通に続いていることに
違和感があったけど、普通に続いていた。
生活はどうやったって進んでいくらしい。

空の青と川辺の緑と桜のピンクな色あいが綺麗。
少し寝不足の目には太陽が眩しく感じた。
たまに吹く風が桜の花びらを散らす。

天国みたいだね。と友だちと言い合った。

あの子もこんな綺麗な穏やかなものに
包まれているといいなとおもった。


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