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何のためにnote書いてるんだろうね


youtubeで,自分とは違う専攻の大学の講義動画を見つけた。

純粋な学問の話を聞くと,まずすげえ,そして面白そう,最後にでもあたし…わかんない,となる場合がある。この先生はどの世界にも通底する理論が分かっているのか,それが分かる人たち誰もが楽しめる話なのか,いいなあ素敵だなあと思う。でも自分はその世界にいけないと拗ねて自分の世界を探してしまう。

実際,コメント欄見ると「学生時代に受けたかった…」「他大学ですが見てます」というものが非常に多い。学問を楽しんでいる人の多さ,目の当たりにして「ほわわわ」と浅い感想しか出せていないつめだ,そう私って浅い。

…あっせぇ~~~~~!


学問系の記事,正直,私得意じゃないと思っている。抽象論が苦手だからだ。そして,文章を読むのが苦手だからだ。そんな僕が自分の生き方を求めて,歩いて,試しに喋ってみているに過ぎないこのnote。。

ひとりの人間がなにかつぶやいて,何か気づいて書きつけたところで,理論じゃ有るまい,新発見でもあるまい。何のためにもならないし,誰のためにもならんもんねえ。何の意味があるんだろうね。

ただ,自分の思いを分かち合える人がほしいだけなのだ。

受け身なのだ。

何か学んで,その良さを語って世の中に伝えていこうっていうんじゃない。

自分語り。

エゴだ。思い切りエゴだ。


そう思うと自分すごい細い線の上に居るのに,周りの人に絶対私の命守ってください,っていうわがまま言ってるみたいだな僕。


でもたぶん誰かと分かち合える!と信じているからこんなに堂々して居られるとも思う。

何が出来るかな,じゃない,なんかしなきゃだなあ。僕。

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つめだ えん
いいことありますように!