裏付けのない話
こんばんは。
昨日、HSPについて、自分が調べてみたことと感じたことを書いてみたのですが、
その後もずっと調べていたところ、
HSPには論拠がないらしい
ということがわかりました。
つまり・・・
あたかも根拠のように使っても、それは事実ではなく、ただの言い訳だと思う人もいるってことではないかと思います。
社会的に認められたことなのだと思って自分が使っても、周りの人にはそうでないと思われる場合があるのかな・・・と。
実際、どうなんでしょう。
HSPは、調べればネットで出てくるので、話が通じるケースも多いと思います。
それに、HSPという概念があることで、一人だけ上手くいかないと悩んでいた人が、周りにも同じことで悩む人がいるのかと思って救われていると思います。
ただ、診断がされるものではないのならば、
個人の言い訳にも聞こえるんだろうなあ。
もし、小さい頃から、何回も何回もいろいろ厳しくいわれるのが当たり前になっている人なら、今更HSPといわれようが自分には関係ないと思うのかもしれません。推測ですが。
それに、誰もが痛みを味わいながら生きているものなのだろうと思います。多分、前に進めているように見える周りの彼らも、痛みを糧にしている。
だから、痛みだけを感じすぎて動けなくなっているのは甘えだと思われるのかもしれません。
その他の音や触感や視覚などの気になる、気にしすぎ、はどうなのかわからないのですが。
うーむ。
自分が、HSPだと思ったときに、少し救われたと思ったんだよな。
・・・気のせいだったのか?
一瞬の甘えだったのか?
うーむ。
・・・
論拠の無いことって、話すの、使うの、すごく難しいんだな、と思いました。
ただひとつ思ったのは、
公言しなくてもいい、自分の中だけの物差しにしておけば良いのかな!ということ。
自分が良いと思ったことを、周りの人の物差しにないからと捨てない。
でも話が違うと言われるのはちょっと怖い。じゃあもう、話には出さない。自分の中で消化、あるいはHSPって向こうから伝えてきてくれる人と一緒にやりとりするぐらいにしておこう。