今日あったこと 2024/04/30

今回は誰に向けて書くではない、ここ数日の自分の感情と思考の吐露だということを、読んだ人に向けての注意書きとして書いておきたい。
ネガティブなことが書かれているので、あまり読まない方がいいと思う。

しんどい。
ぼくは議論が好きな性分をしているんだけど、争いが好きな性格ではないので、レスバの雰囲気を感じたらさっさと切り上げるか相手に譲るかするようにしている。

ただ、最近それではどうにもならないのでひたすら正論で人を殴らねばならんことがあった。
「どうも様子のおかしいコミュニケーション」をしている1人を、数人がなんとか言葉を選びながらそのおかしさを指摘する、みたいな時間が数日にわたって行われていて、もう、それだけでも相当にしんどかった。

普段は様子のおかしいコミュニケーションをとっている人間が、様子のおかしいコミュニケーションをしているのを眺めても別に何もしないんだけど、今回は度が過ぎたことを言ってしまって、それによって発生する社会的な損がぼくにも及びそうだったので(もちろん最大限言葉を選んで)発言をした。

とはいえ、複数人に責められる形になってしまったその人には想いは正しく伝わらず、我々はブロックされた上に、彼は色々とヘイトを撒き散らすようになってしまった。

どこかのタイミングで自分にできることはあったのか、もしくは何もないとさっさと見切ってこちらからブロックしておく方がお互いの傷は浅かったか、ずっと考えてしまっている。

彼の立場から見て、どの程度相手の論を聞き入れられたのかはわからない。彼を責める人数が多ければ多いほど、話した内容よりも「ちょっとした失言(という主観)で一度にたくさんの人から責められた」という状況への拒否反応が強く出てしまうかもしれない。それくらい、複数人から同時に責めたてられるのはしんどい。
そうなったら相手の論理を受け入れるより先に自分の心を守らないといけない状態になるかもしれないし、そのときに投影や合理化をして相手を攻撃するようになっても、まぁおかしくはない。
人格を否定されたように感じたのだとしても仕方ないだろう。

では声をあげずに1人ないし2人だけで彼を責めるべきだったのか、というと、こちらもなかなか難しい。
詳しくは書かないけど、話題が性加害や男女論に該当するもので、あのタイミングで声をあげておかないと今後のぼくの社会的立場が悪くなる可能性があったし、コミュニティの維持のために必要だと考えた。

努めて言葉を選び、できるだけ人の言葉を噛み砕くようにして説明し、できるだけ発言をしないように心がけてはいたんだけど、先述のとおり彼は内容より先に状況から受けるストレスから自分を守ることの方が大事だったらしくて伝わっていなかった。

そのあとできる限りDMなどでフォローするようにもしたけど、それもあまり通じなかった。
個人的に反省するのはここで、あまりの話の通じなさに彼の理解力の低さを前提に動いてしまっていたが、おそらくは先述のストレスでまともに言葉が届いていなかった部分があったのを、それを込みで彼の理解力と判断してコミュニケーションをとってしまった。
結果的に、彼自身の感情をケアすることができないまま論理や説明をぶつけてしまい、説得や理解を得ることに失敗してしまった。

人生のどこかのタイミングで、論理だけの説得が最も説得としての質が低い説得だと考えるようになったのに、今回はその「論理だけの説得」を試みてしまった。
これはひとえにぼくの精神的な幼さ、未熟さに由来するものだ。正直にいうと数日間のコミュニケーションの結果あまりの話の通じなさに苛立っている自分がいた。
その感情を、彼のケアの場面ですら使っている部分があったと思う。とても酷くて、無責任なことだ。

もちろん口汚く罵ったりしたわけではないが、リプライ(公開の場)ではできないやりとりがあったのは事実で、それがおそらく彼にとっては受け入れ難い現実を突きつける内容であったことも自覚している。
当時はそれでも伝えることで彼が内省して変わってくれることを願ってのものだったが、その一部に、苛立ちや失望を復讐のようにぶつけてやろうという感情が存在していたことについて、明確に否定することができない。

もちろんぼく自身の主観ではそのようなつもりはないけど、失望感や苛立ちを感じていたことは事実だし、どうせ今回も伝わらないんだろうなという徒労感も感じていた。
そういった感情が、知らず知らずのうちに文面に滲んでしまっていたとしてもおかしくはない。

結果として彼が“暴走”したことは、ぼく自身重く受け止めるべきだと思うし、軽い気持ちで他人のケアを引き受けたことを恥じるべきだと思う。

ぼくは基本的に性善説で動くお人好しで、失敗した人にも手を差し伸べたいと思っているし、そこで手を差し伸べないと良心の呵責を感じる性格をしている。大体のケースにおいて、人を助けない罪悪感より、助けることによって生じる労力の方が少ない。

彼のケアを引き受けたのもそうした自身の性格によるものだった。詰まるところは自己満足だ。
これは自覚もしているが、人助けなんて基本やっといて損ないだろうくらいに思っているから放っておいたのだけど、今回は裏目に出てしまった。

いまにして思うと、人助けはお互いに利害関係や因縁がない方が気持ちよく行えるけど、今回はそうではなかったのですべきではなかったんだな、と反省している。

合わせて、現在彼のTwitterアカウントでは、現在しばしば我々への悪口がツイートされているらしい。
我々のしたことを考えると当たり前の感情だと思うし、そのくらいは覚悟して彼を責めた。
ただ、最近ぼくの周りでは(ぼくを含めて)彼の放つ悪口を茶化して遊ぶ空気が醸成されていて、これはもちろん倫理的でないし、それ以前に危険な状態であるように感じる。
やっていることは相手の感情を配慮しない「おもちゃ(非人間)化」で、とても残虐な行為だと思う。

面白おかしく扱えるという側面のみを抜き出して、そこに至るまでの相手の感情プロセスを無視し、あまつさえその元凶たる人間たちが「ネタ」として昇華している現在の状況は、やり過ぎだと感じる。
嫌いだと思うことと、それを表に出すこと、そしてその先にある相手を人間として扱わないことを段階に分けて考えないといけない。彼の先鋭化を笑うことはできないし、笑ってしまっている我々も同じくらい先鋭化したコミュニケーションをとっていることに自覚的にならねばならないように思う。

このままこのようなコミュニケーションが続くなら、しばらくスペースからは離れてもいいかもしれないなと感じてしまうほどに、今の状況が息苦しい。
終わってくれと願ってやまない。

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