【100文字ドラマ「月がきれいですね」シナリオ】どしゃぶりの雨の中、傘がなくてもスキップしたくなる相手が鈴木だった話
元となった100文字アイデア
あらすじ
主人公は高校生「佐藤ミオ」。推しのアイドルに、集めている漫画、毎日一緒にいる愛犬のマル。考えるだけで心がいっぱいに満たされて、他のものが入る隙間がなくなるような、幸せな感覚になれるものたち。クラスメイトの鈴木もその中のひとつだった。遠くから眺めるだけで良かったが、席が隣になり鈴木と打ち解けていくにつれ、感情に変化が生じる。
バイト先の喫茶店の常連客・高梨さん(女性)に相談したことで、鈴木への特別な感情を自覚。だがそれを表す適切な言葉が思いつかず、うまく思いを伝えられずに玉砕。
髪を切ったミオ。喫茶店でバイト中、結婚記念日を迎えた高梨さんが、アルツハイマーで記憶を失いつつある夫とともに来店。夫婦は思い出がつまった店でコーヒーを飲み、夫の記憶が一瞬だけ蘇る……という出来事があったあと、鈴木が来店。そこで鈴木の思いを知る。
【ひとこと】
漫画と片思い相手に抱く「すき」という感情の中身は違います。人間の感情には言葉以上のバリエーションがあるのだろう、と思います。「すき」というたった1つの言葉に押し込められている様々な感情を、どんな言葉で表現したらいいんだろうと思いながら書きました。
登場人物
佐藤ミオ(主人公)
高校1年。喫茶店でアルバイトをしている。他人との壁があまりなく、思ったことをぽんぽん言うタイプ。
クラスメイトの鈴木に片思い中。初めは遠巻きに眺めているだけで、アイドルや漫画に対する「すき」と同じ感情を抱いていたが、鈴木と関わり出して次第に恋愛の「すき」に気持ちが変化していく。(が、「すき」という言葉がないので気持ちをどうやって伝えたらいいのかわからない)
鈴木
ミオのクラスメイト。寡黙で目立つタイプではないが、大人びた雰囲気で、先輩からモテる。感情の起伏が表情や声にあまり出ないので、何を考えているかわからない印象。
高梨さん
ミオのバイト先の喫茶店によく来店する女性。60歳くらい。
夫妻とも珈琲好き。この喫茶店で奥さんがプロポーズをしたのがきっかけで結婚をした。旦那さんはアルツハイマーが進行しつつあり、過去の記憶が少しずつ薄れていっている。ミオは高梨さんのことが好きで、学校の話や恋愛相談なんかもする。
【シーン1:マック】
学校帰りに、ミオ+友人2人の3人でマックにいる。それぞれスマホでインスタを眺めながら、好きなアイドルについて話をしている。
ミオ「いやぁ、やっぱり椎名くん(アイドル)はかっこいいなぁ……この画像だけでもう満足っ、お腹いっぱい! 一週間は何も食べなくてもいーわ」
スマホでインスタの画像を見ながら、うっとりとつぶやくミオ。
友人A「お、一週間出ました〜。私は、まぁもって三日かな。椎名くんは歌がイマイチなのよね」
友人B「ねぇ、この人は? カッコよくない?」
ミオ「え、どれどれ? ……びみょーーー。半日ももたない」
日本から「すき」という言葉がなくなって以来、「すき」という思いを示すために、人それぞれ、様々な例えを用いて「すき」を表現するようになっていた。この後、矢継ぎ早に会話は続く。
友人A「ねぇ、来週『漫画』の新刊出るよ? 知ってる?」
ミオ「もちろん! 『漫画』楽しみ過ぎる〜〜〜」
友人B「『漫画』は何日? 一週間?」
ミオ「うーん……6日間? 『漫画』よりは椎名くんのインスタのほうがちょっとだけ上かな〜」
友人A「へー、じゃあ最近お気に入りの鈴木は? 椎名くんと鈴木どっちが上?」
ミオ「えええぇぇぇどっちだろう……悩む……!」
頭を抱えて考え込むミオ。
友人B「鈴木ってそんなにいいか? ヌボーっとしてて、何考えてるかわからなくない?」
ミオ「そこがいいんだよ! ちょっとミステリアスな感じ?」
友人A「まぁ、背は高いし顔もそこそこ整ってるよね。上の学年からわりと人気あるらしいよ。この前も告られたって」
ミオ「え、まじ? 付き合ったの?」
友人A「知らん」
ミオ「あー、誰とも付き合わないで欲しいなぁ」
友人B「ミオ、自分でいけばいいじゃん。アイドルと違ってすぐそこにいるんだから」
ミオ「うーん、そういうんじゃないんだよね。付き合いたいとかじゃなくて、推しに対する感覚に近いっていうか。何なら鈴木と喋ったこともないし。授業中にこっそり盗み見てニヤニヤするくらいで十分」
友人A「で、たまにインスタのぞいたり?」
友人B「え、鈴木のインスタ? 自撮りとか載せてんの?」
ミオ「載せてないよ、たまに手は写り込んでるけど」
友人A「ちょっとだけ写った手で『はぁ〜お腹いっぱいだわ〜〜』って興奮してんでしょ?」
友人B「えっ手だけで? やばっ笑」
ミオ「んなわけないでしょ!笑」
笑う3人。
【シーン2:喫茶店】
ミオがバイトするのは、常連客しか来ないような、昔ながらの街の喫茶店。常連のひとり、高梨さんが来店。
ミオ「いらっしゃいませ。あ、高梨さん、こんにちは」
高梨「ミオちゃん、こんにちは。ブレンドひとつお願い」
ミオ「かしこまりました」
マスターが淹れたコーヒーを高梨さんのもとへ運ぶミオ。にっこり笑いながらコーヒーを受け取り、一口飲む。
高梨「あぁ、今日も美味しい」
ミオ「ありがとうございます。高梨さん、お久しぶりですね。お忙しかったんですか?」
高梨「うん、ちょっとね……旦那の具合が、あんまりよくなくて」
疲れ気味に微笑む高梨さんを見て、ミオの表情も少し曇る。
ミオ「あ、旦那さん……アルツハイマーで、少し前に施設に入られたんでしたっけ……。前に一緒に来ていただいたときは、そんな風に見えませんでしたけど」
高梨「最近急にね、昔のことをどんどん忘れていて。この間なんて、私の名前が思い出せなくなっちゃったのよ? こっちをじっと見ながら『えぇっと……』って、困ったような顔をしてね。そのあとすぐに思い出したけど、あの時は怖かったなぁ。このまま忘れられちゃうんじゃないか、ってね」
ミオ「そうなんですね……」
高梨「あ、ごめんねこんな話しちゃって! 大丈夫よ、年がいくと、こんなことってよくあるの。だから、大丈夫」
大丈夫、と自分に言い聞かせるように繰り返しながら、ミオに笑顔を向ける高梨さん。ミオも少しほっとして微笑む。
高梨「ここの喫茶店には、独身時代には2人で昔よく来たのよね。……って、前にもこの話したかしら?」
ミオ「はい。ここでプロポーズもしたって。しかも、旦那さんからじゃなくて、高梨さんから! すごいなぁって思いましたよ」
高梨「あぁ、そんなことまで話したんだっけ?」
恥ずかしそうに笑う高梨さん。
ミオ「そういえば、プロポーズの言葉ってどんなのだったんですか? 気になる!」
高梨「プロポーズはねぇ……」
当時を思い出すように、ゆっくりと語りだす。
高梨「昔から2人ともコーヒーが好きでね、この店によく通ってたの。旦那はいつも『君と飲むコーヒーは格別だな』って言ってくれて。その言葉を言われると、すごく、あったかい気持ちになるというか。嬉しくて、幸せで。
ある日、この店に来たとき、『君と飲むコーヒーは格別だな』っていつもどおり言われて。あぁこれがずっと続けばいいなと思ったから、『これからもずっと、私とコーヒーを飲んでくれませんか? できれば、毎日』って思わず言ったの。そしたら、じっと私の目を覗き込んで、『もちろん』って」
ミオ「えーーーなんかオシャレ! 特別なシチュエーションじゃなくて、日常の中でサラっと言う感じって憧れるなぁ」
高梨「そう? 彼には後から『ちゃんとしたプロポーズを自分からしようと思ってたのに』って言われたのよ。色々計画してたみたい」
コーヒーを飲み干し、カップを見つめて小さな声でつぶやく。
高梨「……この話も、もう忘れてしまったかもしれないけど」
ミオ「え? 何ですか?」
高梨「ううん、何でもない」
聞こえず聞き返すミオに笑いかけながら答える。
高梨「そういえば、もうすぐ結婚記念日なの。旦那の具合が良かったら、2人でここに来ようかな」
ミオ「ぜひ!」
【シーン3:学校】
席替えで隣の席になったミオと鈴木。それまでミオが一方的に眺めていただけの関係から、会話を交わすようになる。無表情で淡々とした雰囲気の鈴木も、徐々にミオと打ち解けていき、時折笑顔を見せるようにもなる。
推しのアイドルや漫画と同じような感覚で見ていた鈴木に対して、特別な思いを抱くようになる。
校内で鈴木と女の先輩が話しているのを見てイライラしたり、一定の距離感を保って接してくる鈴木の態度に焦燥感を覚えたり。それが恋愛感情というのがいまいちピンと来ず、自分の感情の揺れ動きに戸惑う。
【シーン4:喫茶店】
来店した高梨さんに、相談する。
「推しのアイドルや漫画、愛犬のことは、考えるだけで心がいっぱいに満たされて、他のものが入る隙間がなくなるような、幸せな感覚になるんです。
鈴木も最初はそうだったのに、よく話すようになってから、イライラすることも増えて。女の先輩と話してるのを見て、『何話してるのかな?』って気になったり。
でも、満たされる感じは、前よりも強いんですよ。それこそもう、1ヶ月ごはんを食べなくてもいいくらい、胸がいっぱい、みたいな。これ、何なんですかね?(byミオ)」
「それは鈴木くんがミオちゃんにとって特別な人なんじゃない?」と高梨さんに教えられ、恋愛感情を自覚。
【シーン5:学校】
放課後の教室。ミオと鈴木は日直の仕事で居残りをしていた。鈴木と付き合っているんじゃないかと噂になっている女の先輩がいて、2人で話している様子を何度か見かけたことがあったので、付き合っているのかどうかを確かめよう、と思っていた。
鈴木「じゃあね、佐藤さん(※ミオ)」
ミオ「待って、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
帰ろうとする鈴木を呼び止めるミオ。
鈴木「何?」
無表情に聞き返す鈴木(表情がもともと乏しい、不機嫌なわけではない)。
ミオ:「3年の、田中先輩(※噂になってる女の先輩)いるじゃん。たまに2人で喋ってるなーと思って」
鈴木「うん? あぁ、喋ってるね」
無表情でサラリと答える鈴木。感情が読み取れず、さらに質問を重ねるミオ。
ミオ「……うん、喋ってる、よね。仲いいのかなぁって」
鈴木「仲悪くはないかな」
ミオ「そっか……」
ミオが何を聞きたいのかつかめず、首をかしげる鈴木。
鈴木「何?」
ミオ「……田中先輩と付き合ってるの?」
鈴木「え?」
少し驚いた様子で黙り、続ける。
鈴木「付き合ってないよ」
ミオ「そっか」
ホッとするミオ。しかし田中先輩が鈴木のことを気に入っているらしいという話を知っていたので、続けて聞く。
ミオ「じゃあさ、例えば田中先輩に告られたらどうする? 付き合う?」
鈴木「へ? うーん、どうだろ」
考え込む鈴木。はっきりしない答えにミオは少し苛立つ。
ミオ「どうするの、付き合うの? 仲悪くはないんでしょ? 喋ってるときいつも楽しそうだし。笑ってる時もあるじゃん、私と話すときはそんなに笑わないくせにさ!」
鈴木「え、何? 佐藤さん、なんか変だよ? てかもし田中先輩と俺が付き合うことになったとしても、関係ないよね」
悪気なくサラリと言い放つ鈴木は、ミオの好意に気付いていない。関係ない、という言葉を聞いて傷つくミオ。
ミオ「……むかつくんだよ、先輩と話してる鈴木を見ると」
鈴木「むかつく……?」
ミオ「むかつくって、嫌いってことじゃなくて、あの、」
この気持ちを何と表現したらいいのかわからず、言葉に詰まる。ミオの気持ちに少し感づきはじめた鈴木。じっとミオの顔を見ながら、言葉を待つ。
ミオ「鈴木と話せた日は、晩ごはん食べなくてもいいくらい、おなかいっぱいな気持ちになる、というか」
鈴木「……それって」
ミオ「私が言ったことで鈴木が笑ってくれた時なんかは、もう1ヶ月分は食べた気になるんだよね。も〜〜満腹! みたいな」
休み時間にアイドルの話をしながら「カッコいい〜おなかいっぱいだわぁ」などと友達と一緒に喋っているのを横で聞いていたことがあるので、そこでミオが自分に好意を持っていると気づく鈴木。
ミオ「だから、あの……つまり……」
黙るミオ。無言で考え込む鈴木。しばらくして口を開く。
鈴木「……それってさ、アイドルとか漫画とかと、同じってことなんじゃないの。付き合うとかじゃなくてさ。」
ミオの目を見ながら、静かに続ける。
鈴木「俺に対して、『こうあって欲しい』『きっとこんな人だ』っていう理想を投影して、夢見て、それでお腹いっぱいになってるんじゃないの」
ミオ「違うよ、違う……」
違うけど、何と言えば伝わるのかがわからず、言葉が出てこず黙り込むミオ。泣きそうな表情を見て、鈴木も少し申し訳なさそうな様子。
【シーン6:喫茶店】
バイト先の喫茶店で高梨さんに会い、鈴木に告白しようとしたがうまく伝わらなかったと報告。
ミオ「鈴木とだったら、クソつまんない日直の仕事も楽しいし、もし鈴木とデートできるなら、その日がどしゃぶりの雨で傘がなくても、びしょぬれになりながらスキップできるくらい嬉しいと思う。鈴木と付き合えたらきっと、全力ダッシュノンストップでフルマラソンの距離を走りきれるんじゃないかな? って思うくらい。
でも、全然伝わらなかったの。こんなふうに、あの時言えればよかったのに。この気持ちを一言でうまく表せる言葉が、この世にあればいいのに」
泣きながらそう言うミオを見守る高梨さん。
喫茶店マスターは無言で「臨時休業」のプレートを表に出す(お客さんが入ってこないように)。
【シーン7:教室〜学校帰りの下駄箱】
告白をした翌日から、ミオと鈴木は会話をしなくなった。(教室でしゃべらないシーン入れる)たまに何か言いたげな様子でミオのほうを見る鈴木。しかしミオは無表情で目も合わせず、「話しかけるな」という雰囲気を無言で発していた。
数日後、肩まであった髪をばっさりショートに切ったミオ。友人A・Bと3人で帰るときに、下駄箱で靴を履き替えながらしゃべっている。
友人A「失恋で髪切るってダサくない? いつの時代だよ笑」
ミオ「うるさいな、たまたま切りたかったタイミングと失恋がカブっただけだよ!」
友人B「あ、鈴木だ」
3人が靴を履き替え終わったくらいのタイミングで、下駄箱に向かってくる鈴木を見て、会話をやめる3人。鈴木はいつも通り無表情だが、ミオと一瞬目が合うがすぐそらす。少しだけ動揺している様子で視線が泳ぐ。ミオのすぐ近くで下駄箱を開けて靴を履き替える鈴木。その間ずっと無表情のミオ。無言で校門に向かう。友人A・Bも小走りについてくる。
友人A「今日、マック寄ってく?」
堅い表情のミオを気遣うように声をかける友人A。
ミオ「ごめん、今日バイトなんだ」
友人A「そっか」
友人B「じゃあまた明日ね」
喫茶店に向かうミオを見送る友人A・B。2人とも心配そうな様子。顔を見合わせて、無言でため息をつく。
【シーン8:喫茶店】
バイト中、高梨さんが旦那さんと一緒に来店。
高梨さん「あら、ミオちゃん髪切ったの? 似合うね!」
ミオ「ありがとうございます。あっ、今日は旦那さんもご一緒なんですね! お久しぶりです」
ミオは高梨さんの旦那さんに笑いかけながら元気に話かけたが、オドオドとした様子で、無言のまま店内を見回す旦那さん。ミオのことを覚えていない様子。
ミオ「あ……」
高梨「さぁ、席につきましょうね」
まるで子どもをあやすかのような口ぶりで、旦那さんをいつもの席に誘導する高梨さん。小声でミオに「ごめんね」と言う。少しショックを受けたミオだが、気をとり直し、オーダーを取りに行く。
ミオ「もしかして、今日って結婚記念日ですか?」
高梨「そう。久しぶりにここのコーヒーを、この人に飲ませたくて」
向かい合わせの席に座る旦那さんを、微笑みながら見る高梨さん。旦那さんはソワソワした様子で、言葉を発しない。
ミオ「ブレンドでいいですか」
高梨「そうね、2つお願い。あとは、チーズケーキも。ケーキは1つでいいわ」
マスターがコーヒーを淹れる。店内に良い香りが漂い始めてから、徐々に旦那さんの様子が落ち着き、表情も締まってくる。だが、高梨さんが話しかけても言葉を発することはない。
淹れ終えたコーヒーを、ミオが2人のもとに運ぶ。
ミオ「お待たせいたしました」
高梨「ありがとう。ほらあなた、コーヒーが来たわよ。あなたは、ここのコーヒーが大好きだったの」
じっとコーヒーを見つめる旦那さん。静かにカップを手に取り、一口すする。ほっとした様子で、自分のコーヒーを飲み始める高梨さん。静かにコーヒーを飲む2人。
カップを置き、旦那さんが初めて口を開き、ぽつりとつぶやく。
旦那さん「君と飲むコーヒーは格別だな」
その言葉に驚く高梨さん。入店時の様子と打って変わって、昔のようにしっかりとした目つきで、落ち着いた旦那さんの様子を、信じられない気持ちでじっと見つめ続ける。目には涙が浮かんでいる。
高梨さん「……あの」
かすれた涙声で、高梨さんがつぶやく。
高梨さん「これからもずっと、私とコーヒーを飲んでくれませんか? できれば、毎日」
旦那さんはじっと高梨さんの目を見つめ、こう続けた。
旦那さん「また先に言われてしまったね」
微笑んで手を取り合う2人。その様子を遠巻きに見つめていたミオも、思わずもらい泣き。いつもクールなマスターも、スンスンと鼻を鳴らしながら泣いていた。
高梨さん夫妻が帰り、後片付けをしているところに、鈴木が来店。無言でミオに会釈だけしてくる。この店でバイトしていることは伝えていたが、店に来るのは初めて。
ミオ「……いらっしゃいませ」
戸惑いながらも鈴木を席に案内するミオ。事務的な対応で、水とメニューを持っていく。
ミオ「お決まりのころにまたお伺いします」
鈴木「あのさ」
席を離れようとしたミオを呼び止める鈴木。気まずい雰囲気が流れる。
ミオ「何? てか何しに来たの?」
鈴木「髪、似合ってるよ」
ミオ「……え?」
意外な言葉に戸惑うミオ。
鈴木「って言おうと思って」
ミオ「それ言うために、ここに来たの」
鈴木「うん」
ミオ「あ、そう……」
訳がわからん、と思いながら、言葉を失うミオ。
鈴木「あと、無視すんなよ」
ミオ「えっ」
それまであえて目を合わせずにいたが、思わず鈴木を見てしまい、目が合う。
鈴木「無視すんな、って言ったの」
ミオ「いや、するでしょ普通あんなことがあったら。気まずいじゃん」
鈴木「うん、まぁそう……かもしれないけど。まぁちょっと、言い方がキツかったかな、とは思ってる。すまん」
ミオ「なんで無視されたくないの?」
鈴木「なんか、むかつく」
ミオ「は? むかつく???」
苛立つミオ。
鈴木「あ、違う、むかつくって佐藤さんのことが嫌いとかじゃなくて、えぇっと」
どう表現したらいいのかわからず、戸惑いながら言葉を続ける鈴木。
鈴木「退屈なんだよ、佐藤さんとしゃべれないと。で、なんかイライラしてくる。なんで目も合わせないんだよって、むかつく。みたいな感じ、かな。自分でもよく、わかんないんだけど」
鈴木のその様子が、思いを言葉にできないもどかしさを抱えた自分の姿と重なり、表情がやわらぐミオ。
ミオ「それってさ、もし私と前みたいに喋れるようになったら、全力ダッシュノンストップでフルマラソンの距離を走りきれるんじゃないか、みたいな感覚じゃない?」
鈴木「いや、そこまでではない」
無表情でバッサリと切る鈴木。
ミオ「あーそうですか」
イラついた表情で返すミオ。
鈴木「でも」
少し間を置いたあと、ゆっくりとミオの目を見つめる鈴木。
鈴木「俺、雨嫌いだけど。靴とか濡れるし、頭痛くなるし。でも、雨の日にも学校行くのが楽しみにはなるかな」
その言葉を聞いて、パッと顔が明るくなるミオ。テンション高く嬉しそうに聞く。
ミオ「それ、どしゃぶりでも傘いらないし何ならスキップしたくなる、って感じでしょ?」
鈴木「いや、傘はさすだろ普通」
ミオ「……あっそ!」
嬉しそうな様子から一転、プイっとそっぽを向いてカウンターの方へ戻るミオの姿を、「訳がわからない」といった表情で眺める鈴木。首を傾げ苦笑しながら、メニューに目を落とす。
その様子を見て微笑むマスター。鈴木がミオを呼んでオーダーするシーンで、完。
補足
「毎日一緒にいる愛犬・マル」はストーリーに入れてませんが(入れなくても書きたいことが成立した&広がりすぎてもっと量多くなるから)、イメージはふわふわの小型犬。マルを愛でるシーンがあってもいいかも、など。