あたしったら繊細なくせして読書ダメ 躁鬱もちょっとアレ

 はっきりと言って自分は読書が苦手です。
 生まれてこの方、というわけではなく、高校生の頃なんかはそれなりに本を読んでいました。
 一応うつ病を患っているので、その影響なんかもあってだんだんと読めなくなっていった実感があります。

 とは言え10年くらい前は、苦手ながらに頑張って読んでいたりしてたんですね。それがもうここ最近では、1年に1冊読むかどうかみたいな、割と深刻なレベルにまで落ち込んできています。

 そんななか、Xでこんなポストを拝見しました。

最近の若い子は真面目なので、本を読む時に 「おぼえよう」としてる人が多いです。 そりゃ疲れるよ。 本はそれ自体が外部記憶装置です。 人間はアドレス(目次や概要)をぼんやりおぼえていれば十分です。 必要なときに本を手に取って読めばいいだけです。 って僕は思っているので、本が増え放題です。

https://x.com/tsutomuhokkaido/status/1831841124094517490

 完全に気付かされましたね。「目からウロコが落ちる」ってこういう時に使うんだろうな的な。灯台下暗しとか。なんでも良いですが。

 とにかくこのポストを見て、「自分も本を読む時、無意識に『おぼえよう』とか思っているかもしれないな」という可能性に気づいたんですね。そして、その事で本を読むことへのハードルが上がっているんじゃないかと。

 ここからは個人的な事情ですが、僕の友達には本を読むのが好きな人や、勉強熱心な人が多く、彼らを見ているとそれなりに焦りの気持ちがわいてくることもあります。
「他の人ってこんなに本を読んでるんだ。えっ、じゃあ1年に1冊読むか読まないかの俺って何なの」と。

 さらに付け加えると、驚いたことに俺は自分で自分のことを繊細な人間だと認識しているんですね。こうして文章にするとあまりにも滑稽で怖いくらいですが……。

 日頃、無神経な言動を取った周りの人に対して
「こういう人には、物事の善し悪しはわからないだろうな」
など、失礼極まりないことを頭の中で考えていることも多い。

 しかし……そんな彼らも
「あの本読んだけどさ、つまんなかったわ」
「今日ネトフリの新作出るからまっすぐ家帰るんだ」
とか言っている。
 要は繊細ぶっている自分なんかよりもよっぽど本も読んでいるし、映画も観ているし、ネットフリックスなんかも見ているし、他にもアニメなど、いろいろなコンテンツを楽しんでいる。

 一方、自分は土日になればYouTubeを垂れ流しながらXを見て基本的に下品な言葉を書いている。
 勝敗は、明らか……検討するまでもない。
 さらに最近はYouTubeとXのコンボすら苦痛になってきて、行き止まりにたどり着いてしまった感すらあります。

 だから植松努さん(@tsutomuhokkaido)の本に関してのポストを読んですごく救われたし、目隠しが取れたような気分になりました。

 本を読む時に無理に覚えようとしないこと、本はそれ自体が外部記憶装置であるから価値があり、便利であること。
 さらに自分なりに得た教訓としては
「教養をつけることだけを目的に本を読もうとしないこと」。

 みんなが本を読んで教養をつけてるのに俺は……という卑屈な意識が、むしろ本を読むことを遠ざけている原因の一つになっていることを、確信しました。
 これからは楽しそうな本を、気軽に、なんなら軽率に読んでいこうと思います。今よりはきっと、そのほうがマシだから。

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