やっと言語化できたこと
「あなたの人生は、私がいなくても完成している。」
こんな人いませんか?
一緒にいても苦痛じゃない。一緒にいると楽しい時もある。だけど、一緒にいなくてもいい。今度いつ会えるのか、それは知らなくてもいい。むしろ、そのまま一生会えなくても、仕方ないかと思える。
こんな人に出会ったことありませんか?
こんな人に出会った時に、こんな人と接した時に、安心感でもなく、疎外感でもない何かを感じます。
通常、安心感というのは、相手がどこにいても、何をしていてもそれはどうでもいい。でも、会って一緒にいたいと思ってしまう。そしてまた会いたいと思ってしまう。こういうものだと思っています。
そして、疎外感というのは、一緒にいる時でさえも、全く何も通じ合えていない感覚です。例えば、全く言語が通じない国で、グループワークの授業に参加させられた時のような感じ。同じ人間で、多分同じことをしているように見えるのに、お互い何を思っているのか、何をしたいのか、何を伝えたいのか、何も分からない。
そのどちらでもない、一緒にいて苦痛じゃない。だけど、別に会わなくても良い。
何かしらの力学が働かなければ絶対に会うことがない人。だけど何かしらの力学が働いている間は会うことになる人。
男女ならそれは性欲かもしれません。会社なら、仕事のためかもしれません。同性の友達なら、それはなんでしょう。そんなことは起こらないと思います。
つまり大抵、男女間で起きやすいことだと思っています。
そんな相手と対峙した時に感じるあの不思議な感覚は、なんだろうか。それを初めて言語化できたような気がしました。それが、
です。
自分の中に相手がいて欲しくて、相手の中にも自分がいてほしい。
これが一方的ではなく感じられる状況で人は初めて、自分たちは愛し合っているのではないか、と考えられるのではないでしょうか。
しかし、相手の人生には、自分は必要ないと感じてしまう。相手の人生に自分がいなくても、相手の人生は完成している。言い換えると、完結している、ということです。
この言葉には重要な視点が2点あります。
相手の人生における自分の重要性が感じられない
自分が用意したスペースに入ってこない
①はおそらくはくだらない承認欲求です。ただ、多くの人がシンプルに愛と勘違いしている感情です。男女間における承認欲求を人は愛と勘違いし過ぎです。
なので離婚が多いのだと思いますが、承認欲求が何たるかを処理できない人が愛とは何かを語っているのですから、それは永遠たりえないわけです。
②は、悪い言い方をすれば、「押し付けがましい」のかもしれません。ありがた迷惑なのかもしれません。つまり、あなたが入ってきても良いように自分の生活リズムを変えていくよ、ってしているのに相手がそれに甘えてこない。なんで、自分はあなたが飛び込んで来られるようにしているのにな・・・と。
多分、これなんだと思います。これが「あなたの人生は、私がいなくても完結している」と言わせしめている原因なんだと思います。
甘えられたいという願望があるのかもしれません。ただ、その願望があるかないかはさて置いて、この人の人生に、自分は必要ないんだろうなって思う人、それも、明確に言われたわけでも、態度で示されたわけでもなく、そう自分が感じてしまう人。
この類の人って、会って間もなくからそう感じるパターンってあまりないと思うんです。大体、会って何かしらのフォーマットに落ち着いて、恋人とか夫婦とか、"友達"とか、それが続いている中で出てくる感覚なんだと思います。
それが悲しいってこともないのは、最初から手にしているという感覚がないからだったのか、私が個人的に執着との付き合いに慣れたからなのか。ただ私は、こういう感情と出会った時に、その相手に対して何を言えばいいのか、何をすれば良いのか、分かりません。
ここまで読んでいただいて恐縮なのですが、オチはありません。そういう人がいた時になんだろうと思っていたことを言語化してみた、というただそれだけです。