日本の夏は寂しい夏
7月も下旬。
夏真っ盛り。炎天下、楽しいことがいくつも浮かんでくる。
海に出かけようか、ビアガーデンに行こうか、屋形船に乗ろうか。子供ならばプールに行こうか、虫取りに行こうか、夏休みだ!冷たいカルピスでも飲もうか。
街行く人々は猛暑にうなされ憂鬱そうに見えるけど、どこかカラッとしていて、はつらつとしている。夏に静寂は似合わないのかもしれない。
だけど自分は夏になる度に少し寂しい気持ちになる。子供の頃は、冬の方が寂しい気持ちになっていたかもしれない。年を重ねるにつれて、夏の方が寂しい気持ちになる。
寂しい、とはなんだろうか。
この炎天下を通り越して、涼しげになった夏の終わりを想像して寂しいのか。賑やかな街が冬に向けて静かになっていくから寂しいのか。つまりこれは四季性によるものなのだろうか。あるいは。
ある程度の年齢になってから、夏になるたびに終戦について考えるようになった。自分は平成生まれで全くもって戦争なんか知らない。でも、夏になるとあの時代を生きていた人がこの時期にどんな暮らしをしていたのか、想像してしまう。
終戦の日、当時の人は何を思ったのか。その後、何を思いながら生きていたのか。
すると寂しい気持ちになる。まるで自分が当事者になったかのように、心にすっぽりと穴があいたような気持ちになる。
いま何か寂しくなることがあったわけでも、自分が過去に、以来の夏も寂しくなるような出来事に見舞われたわけでもない。
ただ自分が生まれ育った国で過去にあったことをよくよく思い出させてくれる季節だから、寂しいのかもしれない。日本の夏は、それを知らない自分にとっても終戦の夏。だから日本の夏は寂しい夏なのかもしれない。