#12…あの夜は一応覚えてる
初めてラジオを聴いた日。
中学2年の冬、ある日の食卓、何気ない父親の一言。
「最近オードリーのラジオが面白くってさ」
オードリーは知っている。でも、ラジオか。ラジオってのは、おばあちゃんの車の中で流れてるつまらないモノ、名前も知らないタレントがやってるモノ。その時はそれぐらいのイメージだった。
「ラジオって、おもしろいの?」
私は聞いた。興味があったからではなく、会話の相手がいない父親を可哀想に思って、フォローのつもりで返した。
「ああ、きっと、今夜も面白いぞ」
父はこれ以上語らなかった。この時父が必要以上に語ったり、逆に濁して私に興味を与えようとしていたら、今この文章は書いていないだろう。
夕飯を済ませた私は隣にある母屋に行き、おばあちゃんからラジオを借りた。「何か聴きたいの?」と聞かれたので、「オードリーのラジオが聴きたい」と答えると、おばあちゃんは使い方を教えてくれた。
深夜1時、ラジオにイヤホンを突き刺し、ベットで隠れるようにしてオールナイトニッポンを聴いた。
わけがわからなかった。
このわけがわからない感覚が、私をラジオへと惹きつけた。内容は覚えていない。聴き返そうとも思わない。あの日の困惑と感動が入り混じった興奮は、今でも奥底に潜んでいる。
テレビとは違って、パーソナリティはめちゃくちゃな事を言う。自らを曝け出して、もしくは曝け出さずとも、私達に直接伝えてくれる。友達と話しているような距離感なのに、何故か背徳感がある。
学校のみんなは知らない、私だけの楽しみ。
おばあちゃんから借りたラジオで何週間か色々な番組を聴いてみた。ある日おばあちゃんが「そろそろ返してほしい」と言ってきた。普段なら「全然いつでもいいよ」と優しい祖母だが、この時は本気で返して欲しそうであった。
「ばあちゃんもね、ラジオ大好きなの」
血だった。運命と呼ぶにはあまりにもちっぽけすぎるけれど、私がラジオと出会えたのは偶然ではなかった。
祖母は『福山雅治のオールナイトニッポン』のヘビーリスナーだった。ハガキも沢山送っていた。
「福山雅治が好きだったの?」
「ううん、ラジオが好きなの」
なんだか祖母の存在がカッコよく見えた。老人は人生の先輩だなんて言うけれど、正直実感が湧くような言い方ではない。ただラジオに関しては圧倒的に先輩だった。聴いてきた量が違う。
「あのね、ラジオは、好きじゃないとダメなの」
ずっと忘れられない祖母の言葉。
今ならわかる気がする。
私達の「好き」をぶつける場所がラジオで、作り手側の「好き」を届けてくれるのもラジオ。こういうのは熱量が釣り合わないと冷めてしまう。
時代は激しく変動する。今は主流となっているテレビも、取って代わる物が登場するかもしれない。
それでもラジオは、続く。
オールナイトニッポンは続く。
私達にとって日常的な場であり、他の人達からすれば異常な場かもしれないけれど、そこには沢山の人生が詰まっている。代替品の無い、みんなの場所。
この夜を忘れないように、ずっと好きでいたい。
『あの夜を覚えてる』、素敵な作品でした。
人はすぐには変われない。でも、昔とは違う自分になりたい。変化しなくてもいい、一歩ずつ、着実に進化して、あの頃の自分を忘れないように。
言語化できない感情が心地よいのは、ちょうど1年ぶり。これもまた運命というか、なんというか。
好きなものに支えられて生きれる幸せな人生です。
ありがとうございます。