至って普通の幸せには希死念慮が着いてきていた、というお話
1年半振りに実家に帰った。
相変わらずエアコンが無いので夏は死ぬほど暑いし、山奥で割と電波悪い+Wi-Fiが無いのでネット環境は不便だし、コンビニまで歩いて30分かかるし、最寄駅も歩いて30分ぐらいかかるので最早それは最寄では無いし。
自分の部屋を漁れば懐かしいものがたくさん出てきて、最初はただただ郷愁の念に浸っていたような気がしたけど、学生時代の卒業アルバムを見れば本来友人からのメッセージで溢れているであろう欄がスカスカで、そういえばかなり嫌われていた学生時代を思い出してしまって。
自分で知らず知らずのうちにパンドラの箱を開けてしまって最悪の気分になっていた。
僕の部屋にはまだドロスがしゃんぺんだった時代の缶バッジや、前田敦子がセンターを務めていた時代のAKBグッズが置いてある。
あと仮面ライダーのおもちゃ。剣道やってたからその名残で竹刀や木刀やトロフィーなども。
それらは全て間違いなく自分を形成したものではあるのだけれど、どうにもこうにも思い出が薄く感じられて、どうしてなんだろうとぼんやり考えながら昼食のパスタを食べていた。
そういえば高校時代死にたかったんだった。
SNSしかやることがなかった僕には何の取り柄もなくて、大した友達もいなくて。
何故か毎日死にたいと言っていた。
今じゃ120歳まで生きたいとか言ってるのに。
今まで死にたいと思ったことがないなんて言っていたけど全然余裕であった。
今より高校時代の方が全然幸せだったろうに。
両親と不仲なわけではないし、幸い金銭面で困っていたわけでもなかったし、ただ幸せが当たり前になるにつれてぼんやりとした希死念慮が自分について回るようになっていってた。
そこから大学に行き、社会人になり、何回も転職をして気付けばバンドマン&ホストになって。
ゆったりとした生活は幸せになり得るけど、それと同時にぼんやりとした希死念慮が生まれることもあるのでそれなら忙しい方がいいな。
僕は忙しいぐらいが多分合ってる。
きっと先述した思い出の薄さは希死念慮の濃さに比例して薄くなっていったんだろう。
ちなみに実家にいる今、一瞬顔を覗かせることはあれどあの頃みたいな希死念慮に苛まれることはもう無さそうで安心している。
まぁでも死にたいって言う人大体長生きするので僕はきっと長生きできるんじゃないでしょうか。
電車を待ちながら書いてたらめちゃくちゃ太ったサラリーマンに列抜かされてムカついてきたのでこの辺りで書くのやめます。バイバイ。