少年時代の宝探し(エ◯本)ですら学びがあった話
今の時代、なんでもネットの世界で手に入る。
なんならアートだって、文字を入力するだけですぐ手に入る。
なんとも便利な世の中だ。
ネットが無かった僕の少年時代。
今、目の前に無い 何か を手に入れる、または、代用出来るものを用意するのは結構頭使ったし、なんなら納得できるものが結局手に入らなかった気がする。
手に入れるために、時には悪いこともしたとかしてないとか笑
冒険のマップとしては、畑道や川、ちょっとした森と薄暗いトンネルなどがある僕の生まれ育った地元。
大人たちが18歳未満はダメと決めたもの。
エ◯に興味津々のお年頃の少年の僕は、どれくらいダメなモノなのかは知りたくてしょうがない。
でも、この思考はとても大事だと僕は考える。
流されず、何事も自分で一度考え、自分の中のモヤモヤと向き合う。
ムラムラと向き合うのは高校生くらいからでよいw
モヤモヤと認識して、自らモヤモヤに自分が納得出来るまで向き合う。
当時はもちろん、頭の中はシンプルにエ◯一色!
エ◯に対して純粋に、宝を追求していたのが原動力w
しかし、おとなになった今、当時のことを振り返ると結構頭使ってたし、何より誰かに言われたり、用意されたりして始めたことではなかったなぁと。
すべて自分の中で完結している。
自分が心から求め、自分で考え、思考し、行動に移す。
宝探しをしている中で、どんなことを学び、身につけたのか整理してみる。
好奇心
1番大事なのは好奇心だろう。
自分の中に芽生えた好奇心を認識し、素直になること
好奇心を刺激してくれるものはすべて宝だ。
そもそも、これが無ければ何も始まらないし、全てと言っても過言では無い気がする。
僕の人生、振り返ると全て、好奇心を中心に回っていた。
なんなら、仕事すらも好奇心ドライブだった。
相手の立場と行動を想像出来る想像力
宝は誰が買い、どのような場所で使われるか?などを考え、分析に繋げるために使ってたっぽい能力。
宝の地図を作るイメージ。
得た情報で足りない部分を、想像によって補完する。
それは仮説となり、次のTryを導き出す。
日常と非日常のバランス感覚
最後はバランス感覚。
このバランス感覚がない場合、どちらかに振り切ったり、混在させてしまったりする。
宝を家に持ち帰らない。
非現実と現実を変に混ぜない。
宝(エ◯本)探ししていることを、好きな女子に友達を通してバレるのは正直嫌だった。
まぁ僕は失敗した気がしますがw
抑えるところはどこか?
どう抑えるか?
そんなことも学んでいく。
そうすることで、自分にとって一番良い宝とのバランスを見出していく。
少年時代の宝探し(エ◯本)ひとつとっても、振り返ると色々なことをそこから学んだんだなーと、正直感動すらしている。
おまけ
僕から見ると、世の中は白黒ついてないと気持ち悪いというか、全て白黒つけるのが正しいというような傾向が強い気がする。
それはそれで正しいとも思うし、社会で生きる上で必要なのかも知れない。
でも、人は、人生は、そんなシンプルなものではないと思う。
グレーな部分が何事にも存在し、そのグレーな部分から奇跡と言えるような何かが生まれるのではないだろうか。
グレーな世界で、自分を持って生きている人が、本当に自分の人生を生きている人なのではないだろうか。
少なくとも僕は、なんでもかんでも白黒を必ずつけることを重要視していない。
もちろん、けじめが必要なときはそうは行かない。
でもそれは、僕の責任や心意気などから、自ら白黒つけるべきだと判断し、そう選択ているだけで、グレーでいいならグレーのままでいいと思う。
白黒な世界に疑問を持つこと。
グレーな世界の存在に気づくこと。
グレーな世界の存在を認めること。
好奇心をくすぐられたなら、自己責任の覚悟を持って、グレーな世界で自分を持って行動すること。
そこで学ぶことは、生きる上でとても大切なことを学べるはず。
自分の人生を生きる。
一見とても大変そうで、怖くなる言葉だが、実は好奇心に素直になり、行動するだけで、そう生きれるのではないか?
そんなふうに感じた僕でした。
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