だって僕は男の子だから。

私は三姉妹なのです。男の子って、どう育てたらいいんだろう。って思いますけど、結論としては子育てには「男たるもの」「女たるもの」というのは時代遅れだということです。「〜たるもの」っていうのがあると、自分より経験の少ない人間をコントロールしやすくなるからね。

だいたい、私は女らしいのか。女らしいとはなんなのか。優しさ、弱さ、はかなさ・・・これ、男性が女性に求める、自分が強くなったような気がする都合のよい女性像では?では、男らしい、とはなんなのか。強さ??じゃあ、強いってなんなの?泣けないからって、ハードボイルド気取って、飲んで飲んで飲まれて飲んで〜ってバカでしょ。自分に向き合えない弱さを酒で解消しようとしてできていないんじゃないか。

ん?私?飲みながら泣いて泣きながら飲んで、吐きまくって眠るってことはあったね。最悪。

性別とおもちゃから始まる

この本を読んで、思ったのは、まずおもちゃから性差に紐づけられたものを選んでしまいがちだということ。男の子はお人形さん遊びより車が好きだという、本人の好みとは別に「男とは」「女とは」で用意してしまうという。で、そうやって車やボールしか与えられない男同士が保育園や幼稚園、小学校で、たまたま女きょうだいがいて人形遊びもでき、どっちかっていうと人形遊びの方が好きな男の子が、女子と人形遊びをしていると、異種がいる!と攻撃。理解できない相手って本能的に攻撃の対象ですからね。うーん、想像できます。(男性ってマウンティングのイキモノらしいしね)

じゃあもう名付けから?

男でも女でもよい名前にしようと思っていたのに、文武両道、目標に向かって進みますようにという願いを込め、いつの間にか男っぽい名前になり、なんなら武道をやっているのが自然な名前にしてしまった。。。空手は興味もったらやってもらいたいなと思ってるけど。女だから、男だからこういうふうに育ってほしい、っていうのは、生まれる前から親が決めがち(願いをこめがち)なのかもしれません。

軌道修正しよう

「君はこうあれ」っていう無言のリクエスト (念?)は、性差関係なく周囲の人間関係の状況でつくられていくものでしょう。下手したら、子どもは親の叶えられなかった願いをかなえる身代わりになってしまいます。それだけは避けたい。叶えられなかった夢を叶えるのはこれからでも遅くないから、子どもに押し付けないようにします。って、叶えられない夢なんてなかったよ?夢っていうか、目標はいつでもあります。それに向かってやったり、やらなかったりです。

君は君だよ。私が私なように。

ここ大事だと思っています。私と息子は違う人間。得意も不得意も、好きも嫌いも違って当然。得意なこと、好きなことは、親が用意した環境で作られていくから、本人の選択肢が増えるようにしていきたいものです。(でも、夫には「なんで年上のくせにこんなこともできないんだ?!」ってなってしまいます。アウトですね)

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