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ペットロスの一個人の思い
全ての動物が大往生で生きれると思ってはいけない
人もいつ命が終わるか分からないのは最近のニュースを見れば一目瞭然です。
事故や事件、自然災害や突然死など。
なので
「行ってきます」には「行ってらっしゃい」のコミュニケーションって大切だなと考えます。
毎日を全力で生きているペットをご家族も全力で支え支えられマインドで参りましょう、ペットを看取っても少しずつ回復できるように努めていきましょうよということです。
そう考えると人の四十九日って、昔の人のシステムすごいとか思います。
私たちはともに暮らすペットに、明日の朝息をしていないかもしれないと思って毎晩寝室に入ります。
(以前は寝室で共に寝ていましたが、柴に認知症の初期症状が出てからは別室です)
こういうふうに毎晩覚悟できるくらい、日中は全力でペットと向き合います。
身の回りのお世話やお散歩やケアは家族である私たちしかできません。
何のためにこのペットと暮らそうと考えたのかということをもう一度思い出してもらえるといいのかもなと思います。
命を迎えてともに暮らし看取ることにはとても大きな覚悟に決断が必要です。
ペットのためにこれまで自分がしていたことをやめる、我慢するということはよくあることです。
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ペットと暮らし始めて自分自身が変わったこととして
ペットがいなかった時にしていたことが、ペットと暮らすことでできなくなることがとても増えることへの覚悟は必要です。
(1)夜に出かけるのをやめました(昼の留守番よりも心理的に無理)
(2)趣味を減らしました(その分ペットに時間もお金もかけることができる)
自宅のインテリアをシンプルにしました(味気ない / 殺風景 は褒め言葉だと言い聞かせています)
(3)犬の勉強は雑誌やインターネットではなく、図書館や動物行動学の方の著書を中心に勉強するようになりました(情報の信憑性に重きを置いたので)
先日「今パピーのこの犬と寿命10年計算だったとしてもあと9年ちょっとしか一緒にいられないと思ったら頑張らないといけないと思った」
という方のお言葉がありました。
しか
です、9年ちょっとしかっていう考え方であったのがなかなかできない考え方だなと思いました。
ペットロスになっている人が周囲でも増えている印象です。
身なりがいつも綺麗な方も、ペットの命の終わりがきっかけで別人かのような風貌になってしまったり、挨拶をしても返してくれなくなったり…
世の中にはもっとその辛さと戦っている人もいらっしゃるでしょうから、このようなパターンは本当に一部だとおもうんです。
私たちは様々なカタチを通じてでも、つらいと思っている方のお気持ちを軽くすることができるサポートを追求していきます。
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