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想いの重さと器の軽さ
最近昔を振り返ったり、現状を見るとよく、自分の器の軽さをよく感じます。 それがいろんなことに悪さをして、今が良くない状態になっている。 すべては他人ではなく、自分に原因があるんだなと、つくづく思います。
仕事でも、期待されて役職やポジションに就いて活動するも、メンバーの想いは、それぞれで、 【やりたくない人】、【どっちでもよい人】、【やりたい人】、【やらなければならない人】それぞれで、それぞれに想いの重さがあって、それを加味したうえで、その人に対してどのように接するのが良いのか、どの様に促すと前向きにとらえて取り組んでもらえるのか。 また、【やらなければならない人】には、なぜ必要なのか、なぜしなければならないか、ということを相当しっかり伝える必要がある。 そこの最も重要な想いの重みの加味を怠っていたのかなと最近よく思います。 「うまくいかないのは、自分が上手くできていないから」から「どう変えたらよいか」の検討までで止まってしまい、 「なぜうまくいかないのか」という想いのところまで、考えが至らず、各メンバーの想いの重さに対して、自分の器の軽すぎて、倒れてしまっていたのだと、気付きました。 それに加え、自分の軽さを忘れてすべて背負い込んでしまう。これも自分という器が倒れてしまった原因の一つかなと。 これも、まだ仮定なので正解かどうかはわかりませんが、自分が軽いということは間違いないなと分かったことは大きいかなと、今更ながら思いました。
仕事や物事に対して不平不満というのは必ずあるが、それを受け止めるだけの器を身につけないとこれから、またしんどい状態になると思うので、今は、
【人の想いの重さに耐えられるだけの自分の器を重たくすること】
を課題にしたいと思います。