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【これまでとこれからのハンドボール】
こんにちは、筑波大学 男子ハンドボール部の柳生 青空(やぎゅう そら)です。
今は、体育専門学群に所属している2年生です。
まずは、私のnoteをご覧いただきありがとうございます!!
僕のnoteでは、これまでとこれからのハンドボール人生を語っていこうと思います。
長くはなりますが、どうぞよろしくお願い致します^^
「ハンドボール」
僕がハンドボールに出会ったのは、小学1年生(6歳)の時です。きっかけは、3つ上の兄が楽しそうにハンドボールをしているのに憧れて、自分もハンドボールしてみたいと思い始めました。
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「怪我と転機と決意と…」
中学では、ハンドボール人生が変わる大きな出来事がありました。それは、右手の怪我です。
僕は生まれつき右利きで、ボールもお箸を扱うのも、全て右で生活をしていました。しかし、中学1年生の時に右手の怪我をしてしまい、当時はボールを投げることができなくなっていました。その時に、見学がつまらなくてうずうずしていたのと父からの助言もあり、左手でボールを投げる練習をしようと決意しました。
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父は、小学5~6年生くらいの段階から左でボールを投げる練習を勧めており、当時はいやいやながら左でのシュート練習を行っていました。その経験もあり、右手を怪我してしまった中学1年生の時に、左手も練習してみるか!と決意しました。
外の練習場で鏡が近くに無かったため、地面に写る影を見て、右のフォームと左のフォームを照らし合わせながら壁打ちをしていました。全体の練習が終われば、空いているゴールを使って左のシュート練習をするのが習慣でした。
中学3年生では、全国準優勝をすることができ、高校では、全国優勝を果たしました。
その後は、U19の代表で世界を経験し、念願であった筑波大学でハンドボール部に所属することができました。
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「感謝」
筑波大学に入学することが出来たのは、これまで関わってくださった監督やコーチ、家族、チームメイト、支援してくださる皆様のおかげであり、とても感謝しています!!
「大学生」
入学してからの大学1年生では、慣れない環境での競技であったり、人間関係であったりと、楽しい大学生活というよりも、悩んでいることのほうが多かったです。しかし、藤本監督の「日常・非日常論」(※)を知ってからは、悩みは解消され、プレーも気持ちも変わることができました。
(※)簡単にいうと、部活動はあくまで非日常であり、日常の学業やその他の大事なことを中心に据えて学校生活を過ごしてください、という至極当たり前だが疎かにしがちなことに気をつけてくださいという論
![](https://assets.st-note.com/img/1722485825852-ehcU4fXtjf.jpg)
筑波大学に入学してからのハンドボールの1年を通して、スピードやパワー、理屈、分析といったあらゆる面で、高校までのハンドボールとは異なる知識を得ることができた気がします。
「これから」
これからのハンドボールの目標として、直近の秋リーグで春リーグ以上の成績とプレーをしたいと思っています!!
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長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
柳生 青空