『成人式が変えたもの』
2022年1月末。生まれ育った町で成人式が執り行われた。成人式をずらすのは、大学の定期テストの後にという町の計らいであった。私は高校時代から続く親友の真美と出席した。彼女とは同じ大学でもあり、よく遊ぶ仲だ。
朝早くから美容院に行き、着付けをしてもらい、髪も丁寧に作ってもらい、今までにないぐらいに着飾った。大人になった旧友と再会し、楽しいひと時を過ごした。
式の翌日。アパートに戻るといつものように真美が遊びに来た。手にはいつもとは違う大きな袋を抱えて。
「真美、その荷物はどうしたの?」
「うん、ちょっと美音にやってもらいことがあって。まあ開けてみてよ。」
なんだろうと思い開けてみると、ケープ、ハサミ、クシ、それにバリカンまであった。
「真美…これって…。」
「分かるでしょ。散髪セットよ。」
「散髪セット!?」
「実はね、今日は美音に私の髪を切ってもらいたいと思って来たのよ。」
「私が…?」
「うん、そうよ。成人式も終わったし、長い髪ももういいからバッサリ切ろうと思って。」
「何も私じゃなくて美容院に行けばいいんじゃない?それに素人が切ったら変になるわよ。」
「でも私がやってみたい髪型は、美容院じゃきっと断られるわ。それに素人でも絶対に失敗しない髪型よ。」
「それってどんな…。」
「鈍いなぁ美音は。ほら、そこにバリカンがあるでしょ?バリカンでやることは一つよ。」
「まさか…」
「そう。坊主よ。いっぺんやりたかったのよね。」
「…坊主なんて嘘でしょ?」
「本気よ。だって楽そうじゃない。外国の女優には時々坊主の人がいるし、女がやっちゃいけない訳じゃないでしょ?」
「そりゃそうだけど…こんなに綺麗に伸ばしているのに…もったいないわよ。」
真美の髪は肩下まで伸びており、ポニーテールがよく似合っていた。髪には癖がなく、女の私でも可愛いと思うぐらいだった。
「これでも中学の時はショートにしていたのよ。時々バリカンで刈り上げにもしていたし。あの頃は楽だったわ。野球部の男子なんか見ていていいなって何度思ったことか。いつかは坊主をやってみたいと思っていたのよ。」
「坊主にしたら大学はどうするの?」
「春休みが2ヶ月もあるから伸びるでしょ。ウイッグも用意したし。とにかくこんなこと今しか出来ないわ。」
思ったことは実行する、この真美の性格は羨ましい。私はいつもくよくよ考えて、結局何も出来ないことが多い。周りの人は私のことをおっとりしているとか大人しいとか言うが、本当はただの臆病者だ。
「ね、だから早くやってよ。」
「でも…。」
「さっきも言ったように、美容院ではまず断られる。床屋に行くのも気が引けるし、男性に刈られるのを見られたくない。そうなると美音にやってもらうのが一番だと分かったのよ。」
そう言って真美は服を脱ぎ、自分でケープをかけて椅子に座った。そしてバリカンを渡してきた。
「バッサリ切っちゃってよ。」
しかし私には出来なかった。本当に切ってしまっていいのだろうかと迷っていると
「もうじれったいわね!バリカン貸してよ!」
そう言って私からバリカンを奪うとスイッチを入れて、前髪にバリカンを入れた。
あっと思ったら、真美の前髪がごっそり刈り取られ、坊主になっていた。真美はそれに構うことなくバリカンを動かしていく。前髪がかなりの部分が刈られた。
「さあ、ここまでやっちゃったからもう坊主にするしかないわ。美音、お願い。続きをやって!」
ここまでされたらやるしかない。
「分かったわ。そこまでしたんだから、私も覚悟を決めるわ。本当に坊主にするね。」
生まれて初めてバリカンを手にする。今からこれで真美の綺麗な髪を坊主に刈るのだ。身震いした。
初めて手にするバリカンは重かった。スイッチを入れると凄い振動がある。どうしたら良いか分からないので、耳の横の髪にそっと当てた。すると一気に髪が刈り取られて地肌が丸見えになった。
これがバリカン…途方に暮れていると真美は「遠慮せずにやってよ!」と急かした。慌てて次のバリカンを入れる。また髪が刈り取られる。その動作を何度か繰り返し、一度バリカンを止めて聞いてみた。
「真美、バリカン痛くない?」
「ううん、大丈夫。続けてよ。」
次に後ろに回った。長い髪を持ち上げて真美の細い首筋にバリカンを這わせる。だが髪がバリカンに引っかかった。真美も「痛い!」と声を上げた。
「真美、ゴメンね。一度ハサミで短くするわね。」
今度はハサミで切り始めた。何十センチもある髪をハサミで豪快に切っていき、ショートカットのようにした。そして再びバリカンを入れ、綺麗な黒髪を刈り取っていく。運動部の子がしているような刈り上げなんてレベルではない。バリカンは豊かな黒髪を全て刈り取り、坊主にしていく。
小柄で握力もない私は、時おりバリカンの振動に手が持って行かれそうになったが、なんとか握って動かした。黒い部分を見つけては丁寧に刈っていく。ここまできたらきちんと坊主にしてあげないとみっともない。
そして真美の丸坊主が完成した。
「うわぁ!すごい!とうとうやっちゃった♪ツルツルだぁ。」
私はしばし声が出なかった。さっきまでロングヘアだった真美。それが今やツルツルの丸坊主だ。しかも半分以上を私の手で刈ってしまった。頼まれたこととはいえ、本当にこれで良かったのだろうか…。
「美音、あなたも触ってみてよ。」
そう言われて恐る恐る触ってみると、チクチクしていた。
「なんか凄いね。でも本当にこれで良かったの?」
「いいのよ。さっきも言ったけど一度してみたかったから。美音もやってみない?」
そう言って真美は私の前髪に手を入れた。
「わ、私は遠慮しとくわ。まだロングでいたいし…。」
「そう、残念ね。でも今日はありがとう。」
真美の断髪は衝撃的だった。あの長い髪を私の手で丸坊主にしてしまった。とんでもないことのように思えた。手にはまだバリカンの振動が残っている気がした。
それからというものの、真美に会うといつも坊主の良さを聞かされた。やれシャンプーの減りが遅い、時間が出来た、とにかく楽と、洗脳するかのごとく気化された。最初のうちは聞き流していたが、いろいろ聞いていくうちに、少しずつ私も興味が出てきた。
確かに真美の言う通り、髪が長いととにかく面倒だ。髪の手入れに時間とお金がかかるのは事実だ。もし真美みたいに坊主にすればこの悩みとも一瞬でおさらば出来る。今は彼氏もいないし春休みだし、坊主にするならば今がチャンスかもしれない。そう言えば坊主の男友達も楽でいいなんてよく言っていたっけ…。
でも…あのバリカンでこの髪を刈られると考えたらゾクッとした。正直怖い。もし丸坊主にしたら、今の長さに戻るまでに何年かかるのだろう。
丸坊主にしてみたいような、してみたくないような…モヤモヤが私の心に居座っていた。
次の日曜日。真美にそのモヤモヤをぶつけてみた。真美は真剣に聴いてくれた後こう言った。
「美音、人生は一度切りよね。絶対に坊主にしたくないのなら、私も勧めない。でも迷っているのだったら『やらずに後悔するよりやって後悔』した方がいいんじゃないの?これもいい経験よ。」
「そうかしら…。」
「それに、美音は引っ込み思案でしょ。いつもいろいろ悩んで結局やらないことが多いじゃない。そんな自分を変えてみたら?」
自分を変える…この言葉にハッとした。確かにそうだ。私は大人しいとかお嬢様と言われて育ってきたが、単に臆病なだけだったのかもしれない。いつも真美の行動力を尊敬していた。真美みたいになりたい、と心のどこかで思っていた。
このままモヤモヤを抱えていては、いつもの何も出来ない自分で終わってしまう。成人式を経た今、ここで自分を変えなきゃダメな気がした。
しばらく沈黙した後
「分かったわ。私も丸坊主にするわ!」と言ってしまった。
「偉い!じゃあ早速やろうか?そう思って道具は持って来たんだ。ウイッグもあるから大丈夫よ。」
あ!しまった!!つい勢いで言っちゃった。何とかしなければ…そうだ!
「ちょっと待って!いきなり丸坊主は怖いから、美容院でショートにするわ。ついてきてくれる?」
「もちろん♪」
正直なところ、まだ本気で坊主にする決心はしていなかった。でもショートにはしないといけない。ショートにもほとんどしたことがないからちょっと嫌だけど仕方がない。
駅前の美容院に入った。お客さんはパーマをかけたりカラーを入れたりしているが、バッサリ切るような人は見当たらない。止めておこうかな…とも考えたが、真美のいる手前それも出来ない。
待っていると一人だけショートにした学生がいた。元々短かったようで髪はそれほど散らばっていない。何となく見ていると美容師はバリカンを取り出した。まさか刈り上げにするの?と思ったらその通りだった。下を向かされて、襟足にバリカンが入った。バリカンが通ると地肌がうっすらと見えた。
とりあえずショートボブぐらいにするつもりだったけど、この際刈り上げにしてバリカンに慣れておいた方がいいかも…。
カット椅子に通された。
「こんにちは。カットですね。今日はどの位切りますか?」
「…あの、バッサリショートに切って下さい。」
「ショート?こんなに伸ばしているのにいいんですか?」
「はい。成人式も終わったのでイメチェンしようと思って…。」まさかこの後丸坊主にするなんては、口が裂けても言えない。
「そういう人は多いですね。分かりました。バッサリ切っちゃいますね。それでどの程度切りますか?ショートボブ位にしておきますか?」
どうしよう。具体的には考えていなかった。でも中途半端に長いのも何だし…。
「この際耳を出して、後ろは少し刈り上げて下さい。」
「そんなに短くしてもいいんですか?それに刈り上げだとバリカンを使いますが…。」
「ええ、いいんです。バッサリやって下さい。」
「分かりました。では思い切ってやっちゃいますね。」
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