『良い子からの卒業』
春奈は4人家族の長女。現在高校一年生。両親はいずれも東大卒のエリートであり、省庁勤めである。春奈の兄も小さい頃から勉強が得意で、今や東大生だ。
そんな家庭環境の中、春奈も当然のように東大を目指していた。他の大学は全く考えていなかった。私もゆくゆくは東大に入り、やがては両親のように省庁へ―何の疑いもなく、春奈は勉学に励んでいた。
両親はしつけに厳しい。挨拶から箸の持ち方、言葉遣いなど、厳しく育てられた。春奈は親に反抗することなく、とにかく親の言う通りにしてきた。勉強ももちろん、トップクラスの成績を常に求められてきた。
春奈にはそれが当たり前であり、いつも両親の期待にも応えてきた。兄のように私も出来ると信じていた。中学までは成績優秀、生徒会の役員も務め、教師の評価も高い生徒だった。しかし県内一の進学校に進んだあたりから、その自信を失うようなことが起き始めた。
どうしたことか、成績が伸びない。高校の勉強は中学までとは違い、段違いに難しかった。始めは良かったが、定期テストの度に、点数は落ちていった。
ある日父親に言われた。
「春奈、これはどういうことだ?高校に入ってからさっぱりじゃないか!」
「なんか勉強が急に難しくなって…。」
「学校や塾の先生に聞けばいいじゃないか。」
「はい…。」
「今のままじゃ東大なんて無理だぞ。分かっているのか?」
「分かっています…。」
「お父さんは一つ考えたんだ。何か罰でもないと春奈は必死にやらないだろう?だから、これからは成績が落ちる度に、春奈の髪を切ることにする。」
「ええっ!!髪を!?」
「そうだ。お洒落なんかにうつつを抜かしているから成績が落ちるんじゃないのか?」
そう言われてみれば、心当たりはあった。私は高校に入ってからは、ファッションに目覚めつつあった。友達との話題もお洒落のことが多いし、気になる男の子もいた。もっと可愛くなりたいといつも思っている。
幼少期からそうだったが、どうしても親、特に父親には逆らえない。この時も反論出来ず、渋々「はい、分かりました…。」と言うのがやっとだった。
私は中学校に入学した時、初めて髪をバッサリ切ってショートにした。中学生になるのだから気分を変えようと思って、それまでのロングヘアを一気に耳が出るぐらいまで切った。美容院で注文した時はドキドキしたが、やってみたかった髪型だしワクワクもあった。
ハサミが後ろの髪に入った時は、なんとも言えない気持ちになった。でも出来上がってみると、新しい自分になれた気がした。耳をすっかり出し、襟足も短く切り、性格も少し明るくなった。
それ以後は、今度は髪を伸ばそうと頑張った。もし髪を切ることになったらどうしよう。あの時とは違い、今は切りたいとは思っていない。せっかくロングになったから、いろいろアレンジを楽しんでいた。それが出来なくなる。
「次の定期試験の結果が悪い場合、その髪を切ることになるからな。」
そう言い残して、父は書斎に戻った。
こうなってしまった以上、頑張らないといけない。髪を切らされる事態だけは避けないと。頑張って伸ばした髪を、そう易々と失うわけにはいかない。
私はこれまで以上に勉強に取り組んだ。が、やはり難しくてどうしても理解出来ない。特に数学が難しかった。
春奈の通う進学校では、早くから大学受験対策を取り入れていた。そのため、通常の学校よりも進度が早い。春奈が理解するより先に、授業は進んでしまう。春奈も決して頭が悪いわけではなかったが、授業に追い付いていけなかった。
不安と焦りの中で迎えた定期テスト。かなり頑張ったが、どこか空回りし、ここでもかなりひどい結果となってしまった。全体的に平均点が低いと言っても、言い逃れの出来ない点数だった。
「春奈、分かっているな。約束通り髪を切ってもらうぞ。駅前の美容院にもう予約したから、今から行ってこい。」
そう言われ、美容院に行くしかなかった。髪は切りたくない。でも親には逆らえない…もうどうしようもない。
受付で名前を告げると、そのまま椅子に通された。普通ならばどう切るか聞かれるが、何も言わずに美容師はブロッキングをし始めた。
「髪型はお父さんから聞いているから大丈夫よ。」
大丈夫って…どれくらい切られちゃうんだろう…なんだか怖い。バッサリ切られるんだろうな…そう思っていると、ふいに首筋にハサミが入った。サクサクと軽快な音を立てて、バッサリと切られた。
あぁ…ボブにされるのか…。後ろの髪を切り終わり、美容師は横に立った。すると、横の髪は耳の下ではなく、あろうことか耳を出す位置で切られた。えっ?と思った時はもう遅かった。耳を全部出すように切ると、今度はトップの髪をザクザクと切り始めた。ショートにされるんだ…そんなに切るなんて…嫌だよぅ。もう帰りたい…。
しばらくすると、耳をスッキリ出したショートになっていた。さっきまでとは別人だ。すると美容師はおもむろに小型のバリカンを取り出した。私はビクッとして言った。
「あの、刈り上げだけは止めて下さい…。」
「大丈夫。襟足の残り毛を剃るだけよ。」
そう言って、ジージーと残り毛を剃り始めた。刈り上げにされることはないと安心したが、バリカンはくすぐったかった。
中学校時代のようなショートカットになった。あの時は自分の意思でショートにしたが、今日は強制的に、切りたくもないのに切らされた。床に落ちた大量の髪を見て、辛さがこみ上げてきた…。
次の日登校すると、私のイメチェンに皆驚いていた。
「春奈、どうしたの?随分バッサリ切っちゃって。」
「うん、ちょっとイメチェンしようと思ってね。」まさか真相は言えない。そう答えるのが精いっぱいだった。
「もったいないね。でも似合っているよ。ボーイッシュで可愛いよ。」
「そうかな…思っていたよりも切られちゃって。」
「私もロングに飽きちゃったな。春奈みたいに切ろうかな…。」
人の気も知らないで。自分の意思で髪型を変えられたらいいよね。本当は私だって伸ばしていたかった。いくら罰とは言えひどすぎる。
それから春奈は変わった。勉強を頑張るのではなく、徐々に気持ちが抜けていった。
私の頭では東大なんて無理だ。授業にだって追い付いていないし。なんでこんなにしてまで勉強しないといけないんだろう。どうして東大に行かないとだめなんだろう。あれ?私、東大に行きたいんだったっけ…?
勉強に対する葛藤を抱えていて、成績が伸びるわけがない。それからも少しずつ、成績は下降していった。
そんな折、中学時代のクラスメートに街でバッタリ出会った。当時は時々話す男友達程度の認識だったが、窮屈な思いをしていた今の私には、惹かれるものがあった。
何となくその彼と付き合うようになり、生活が乱れていった。塾に行くと言っては彼と会うようになり、夜は遅くまでSNSで盛り上がった。
ある日、父親に言われた。
「春奈、最近どうしたんだ?生活が乱れているじゃないか。」
「…すいません…。」
「このままでは東大どころではなくなるぞ。」
その後もいろいろ言われるが、春奈はどこか上の空だった。
「…いいか、次の期末試験でもしひどい成績を取ったら、また髪を切るぞ。今度は前よりも短くな。」
『前よりも短く』この言葉だけは耳に入った。なんで親はこんなことばかりするのだろう。でも何も言い返せない自分がいた…。
そして迎えた学年末のテスト。ここでも私は散々な成績を取ってしまい、とうとう赤点が付いた。下手をすると留年もあり得る。
この頃、私はもう勉強に気持ちが向いていなかった。スポーツに向き不向きがあるように、勉強にもそれがある。私は両親や兄のように勉強して、東大に行くには向いていない。そう確信していた。
恐る恐る父に成績表を見せると、何も言われなかった。怒られないことがかえって怖い。きっと髪を切らされるんだろうな…。
次の日父は私を車に乗せた。ずっと無言だった。そして着いた先は床屋。床屋なんて男性が行くところだし、もちろん入ったことがない。どうされちゃうんだろう。短く切られたら嫌だな…。
父は床屋の主人に何か話していた。きっと髪型のことだろう。
「ええっ!?そんなに切ってしまってもいいのですか?お嬢さんですよ?」
「ええ、いいんです。ちょっと事情がありましてね。」
「まあ言われればやりますが、後で怒らないで下さいよ。」
「大丈夫です。それと、娘が嫌がっても遠慮なくやって下さい。」
「分かりました。」
会話の端々が聞こえてきた。思いっきり?嫌がっても?何かとんでもないことになりそうな予感があった。
散髪椅子に座らされる。美容院のよりも大きくて、体全体を掴まれているような気がする。どんな風に切られちゃうんだろう…。
その頃の髪型は、ショートにされてからは伸ばしており、ようやくボブと呼べるぐらいになっていた。
またショートにされるのかなぁ。でもなんで床屋なんだろう…。そんな不安をよそに、主人は霧吹きで私の髪を濡らし、カットを始めた。ザクザクと躊躇いなく切っていく。後ろは襟足付近で、トップの髪も掴んではバッサリと切っていく。
ただ耐えるしかなかった。私が悪いんだから…。
すっかり短く切ると、主人は棚からバリカンを取り出した。美容院のバリカンよりも大きい。前回みたいに襟足を整えるのかなと思っていたら
「ちょっと下を向いてくれるかな?」と言われた。
なんでだろうと思い、言われるがままに下を向くと、バリカンが襟足に入ってきた…!
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