『村興し 中編』

 『村興し 中編』
 紬の長い髪が剃られて帰ってきた。映画出演のためとは言え、あの長かった髪が跡形もなくなり、尼さんのようにされていた。別人のようだった。

 ショートにもしたことがないのに、バリカンで丸坊主にされた上、剃刀で剃られたと聞いた。どれだけ辛かっただろう。

 それなのに、断髪前「一度だけ我慢したら、また伸びてくるわよ。」なんて無責任な言葉を言ってしまった。妹の気持ちを無視した発言だった。それ以降、私と目も合わせてくれない。妹との間に深い溝が出来ていた…。

 心のどこかで、「私は髪を剃らなくてもいい」という安心があったのではないか。他人事のように捉えていたのではないか。

 しかしツルツルになった妹を見て、同じ姉妹として大きなショックを受けた。これがもし自分に起こっていたら…ゾッとした。バリカンで刈られるなんて、私だったら泣き出して暴れているだろう。その前に逃げ出しているかもしれない。妹はよく耐えたものだ…。

 だが、日が経つにつれ、このままで良いのかと思うようになっていった。中学二年生の妹だけが髪を剃られ、三年生の私はこのままでもいいのかと。その思いが強くなり、妹と仲直り出来ぬまま、時間だけが過ぎていった。

 こんなことではいけない…。私に何か出来ることはないか…そう考えた時、私も髪をバッサリ切ることを思いついた。本当は紬みたいに剃るのがいいが、それはどうしても出来ない。でもせめてショートカットぐらいならば私にも出来る。

 せっかくいい感じに伸びた髪。いつもアレンジが楽しい。中学入学の際、母から半ば強引におかっぱに切らされて以来、ずっと伸ばしてきた。この髪を切ってしまうのはもったいないが、妹の辛さに比べたらどうってことない。私は母からお金をもらい、隣町の美容院へと向かった。

 美容院は混んでいた。大人の女性が緩やかなパーマをかけていた。いつか私もあんなパーマをかけたいな…でも今日短く切ったら、しばらくおあずけだな…。

 私と同じぐらいの女の子が座った。緊張した顔をしている。美容師さんがロングの髪を掴み、何やら話している。「いいんですか?」「はい」なんて声が聞こえてくる。どうするんだろう?

 すると、美容師さんはブロッキングした髪をバッサリと切り始めた。あの子、ボブにするのかな…だがハサミは止まらず、気づくとショートカットにされていた。

 美容師さんはハサミを置くと、バリカンを取り出した。襟足を整え値の加奈と思ったら、下を向かせ、襟足の髪を刈り始めた。刈り上げにするんだ…バリカンが通ると、地肌が顕わになっていた。

 衝撃だった。バリカンで刈り上げにされているのは初めて見た。紬はあのバリカンで髪を全部刈られて丸坊主にされたんだ…嫌だっただろうなぁ…辛かっただろうなぁ…自然と涙が零れてきた。

 その子はさっきまでのロングが信じられないぐらいに短くなっていた。後ろと耳横の髪まで刈り上げられており、さっきまでとは別人ようなボーイッシュな髪型になっていた。床には大量の長い髪が散っていた。

 普通のショートカットにしようと考えていた。でもそれじゃ中途半端だ。どうせならあれぐらい短くしないと…バリカンは怖いから刈り上げは止めておこうかな…。

 私の名前が呼ばれた。いよいよだ。ドキドキしながら椅子に座る。
「こんにちは。今日はどうするの?」
「はい。バッサリショートにしてほしいのですが…。」
「ショート?いいの?こんなに綺麗に伸ばしているのに。」
「ええ。ちょっと事情があって。」
「そう。耳も出しちゃう?」
「は、はい。短くていいです。」
「この際さっきの子みたいに刈り上げてみる?スッキリするわよ。」
「か、刈り上げですか…?」
「やったことない?」
「はい。ずっと長かったので…。」
「じゃあ一度ぐらい経験してみてもいいんじゃない?あなたなら似合うと思うわ。」
 まさかの刈り上げを提案された。どうしよう。あんな風にんるのは嫌だ…でも…紬に比べたら…。
「あの…バリカンって痛くないんですか?」
「うふふ。大丈夫。痛くはないわよ。」

 バリカンで刈り上げることで、少しでも紬の気持ちに近づけたらと思った。それに「似合うと思う」なんて言ってくれたし。
「では…刈り上げのショートで…お願いします…。」

 言っちゃった…バリカンで刈り上げにされるんだ…。

 まずはブロッキングをして、背中まで届く髪が首筋でバッサリと切られた。アッ…!切られた…何だか悲しくなった。その後も次々に切られていきボブにされた。

 中学に入った時以来の短さだ。それでもハサミは止まらず、髪の毛を軽快に切っていく。しばらくすると耳を出したショートカットになっていた。

 そして美容師さんはいよいよバリカンを持ち出した。身構える私。
「そんなに固くならなくていいのよ。」と笑われた。

 それでも怖い。さっきの子みたいな刈り上げにされるのが分かっているだけに怖い。止めとこうかな…と思ったが、美容師さんに怖気づいたと思われるのも悔しい。

 下を向かされ、甲高い音を立ててバリカンが襟足に触れる。冷やっとする。ガリガリと髪が削り取られていくような感触。これがバリカン…襟足に入ったバリカンは、思った以上に上に向かっている気がする。どうしよう、このまま坊主にされるんじゃないかしら…内心ドキドキしていた。

 バリカンは何度も後頭部を往復し、やがて止まった。
「ついでだから耳周りも刈り上げる?」
「それはちょっと…遠慮しておきます。」
「あらそう。似合うのに残念だわ。」
 あの子は男の子みたいになっていた。こんなに短くなっても女の子でいたい。だから耳周りの刈り上げは断った。

 シャンプーをされた。いつもは長い髪を丁寧に洗ってくれるが、今日は短くなった頭をガシガシと洗われた。ショートになったんだなと実感した。

 鏡で見せられると、いつもの長い髪はなくなっていた。前髪は眉毛の上で切られ、耳が全部出ていて、後ろは刈り上げになっていた。触ってみるとザラザラしている…これが刈り上げなんだ…泣きたくなったが我慢した。
「お嬢さん、思った通りに似合っていますよ。」
「そう…ですか…?」
「うん。あなたは小顔だから短いのも似合うわ。」

 美容院を一歩出た瞬間、風を頭に感じた。人生で一番短い。もう風になびく髪はないことを実感した。だが、それ以上に果たしてこんなことでいいのかとも思った。

 紬は刈り上げどころではなく、あのバリカンで丸坊主にされた。さらに剃刀で尼さんのように剃られた。刈り上げと丸坊主は違う。この程度じゃあの子の本当の気持ちは分からないし、どこか中途半端だ。本当は紬のように剃るのが一番いいのだけど…そんな恐ろしいこと出来ない…。

 私は悩むと川を見に行く。その時も何となくいつも行く川で、川面に移る自分を見ていた。ショートカットになった自分が映っていた。また後頭部を触る。変わらずザラザラしている。でもこの程度じゃ…ダメなんだ…。

 私も…剃ってみようかな…。このままだと姉妹の溝は埋まらない。モヤモヤした気持ちで家族生活を続けていくのは辛い。もし私が遅く生まれていたら、私が剃られたはずだ。たった1年生まれるのが違っただけで、同じ姉妹なのにこうも違う運命なのは、紬からすれば理不尽だ。今ここで決断しないと、一生尾を引くのではないだろうか。
 
 しばらく考えた。髪を剃るのはとても恐ろしいことだ。美容院で初めて体験したバリカンが、今度は短くなったこの髪を全部刈り上げてしまう。その上剃刀で剃られる。

 映画に出ない私は、そんなことをする必要は全くない。こうして刈り上げショートにしただけでも十分だ。何度もそう思った。しかしその度に、紬の冷ややかな眼を思い出す。口には出さないが「なんで私だけ髪を剃られてお姉ちゃんはそのままなの?」と思っているのが伝わってくる。今の私に出来ること唯一のことは、紬と同じようにすることだ。

 あらためて短くなった髪に触れる。この髪を剃ると考えただけで吐き気がした。体も震える。でも足が自然と動き出していた。村の床屋さんに向かっていた-。

 何度もお店の前を行ったり来たりした。だがどうしても入れない。入れば髪を剃ることになる。また髪を触る。ショートカットにしたこの髪が全部剃られて紬のようになる。嫌だ。バリカンで刈られるのも、剃刀で剃られるのも怖い。今ならまだ引き返せる-。

 確かに引き返したはずだった。だが、気づくと床屋に入っていた。まるで私の意思とは関係ないかのように-。
「おや、栗原さんのとこの娘さんかい?珍しいね。」
「はい…あの…。」
「ちょっと待ってな。今この子をやるから。」

 そう言って、バリカンを構えるおじさん。
「おじさん、俺やっぱり嫌だ…。」
「今さらグダグダ言うな。親と約束したんだろう?赤点があったら坊主にするって。」
「でも…。」
「ほら、女の子が見ているぞ。情けない姿見せてもいいのか?いいじゃないか男なんだから、一度ぐらい坊主にしたって。始めるぞ。」

 有無を言わさずバリカンが男の子の額に入る。あっという間に前髪が刈り取られ、地肌が現れる。

 私はごくりと生唾を飲んだ。これが…坊主にするということなんだ…なんてあっけないのだろう…。

 男の子は泣きべそをかきながら耐えている。バリカンは次々に男の子の髪を刈り上げ、次第に地肌が広がり、青々とした坊主頭になった。

 さっきまで黒髪に覆われていた男の子が、今やすっかり青々とした丸坊主だ。紬もこうして丸坊主にされたんだ…私もあんな風にされる…悲しみと恐怖が同時に襲ってきた。

 男の子が終わって、とうとう私の番になった。
「で、今日はどうするんだい?顔剃りでもしていくかい?」
「あの…えっと…」
 言わなきゃ…剃って下さいって言わなきゃ…唇が渇く。ここで顔剃りと言えば、これ以上髪を失うことはない。でもそれじゃいけない。自分で紬と同じようにツルツルに剃るって決めたんだし…だからここにいるんじゃない!

 私は大きく深呼吸をしてから言った。
「髪を…そ、剃ってもらえますか?」
「え?剃るって…映画に出るの?」
「いいえ。妹が髪を剃って、私だけ剃らないのは不公平だと思って。妹は髪を剃られてからろくに口をきいてくれないし…。」
「確かお姉ちゃんは長かったよね。それをここまで切ったんでしょ?もうそれで十分じゃない?」
「いいえ。これじゃ駄目なんです。やっぱり後ろを刈り上げたぐらいじゃ、妹の気持ちなんか分からないし、だから?と言われたらそれまでです。姉として、少しでも妹の気持ちに寄り添いたい。だから…剃るんです…。」涙目になって訴えた。
「分かったよ。そこまで言うのならやっちゃうけど、本当にいいんだね?バリカンでやった後、剃刀で剃ってツルツルにするけど。」

 そう言って私の髪に手を入れる。この髪が全部なくなる…散々想像してきたけど、やっぱり惜しい気持ちはある。友達にも何て言われるか分からない。それでも、私は紬との絆を大切にしたい。
「はい。いいです。ツルツルにして下さい…。」
「じゃあまずはバリカンを入れていくね。」そう言って先ほどのバリカンではなく、手バリカンを取り出した。
「あ、あの、何で手バリカンなんですか?」
「いつもは電気バリカンなんだけど、何だか調子が悪くってね。さっきも男の子の髪に引っかかっていただろう?なぁに、これでも綺麗に刈れるから大丈夫だよ。」

 こんな時に限って…痛くないといいのだけど…。

 ケープをかけられ、霧吹きで髪を塗らされる。おじさんは手バリカンを構える。とうとうこの時が来た…カチカチと動く手バリカンが怖い…私は丸坊主になるんだ…ギュッと目を瞑った。

 額から手バリカンが入った。不快な感覚。そっと目を開けると、手バリカンが通った部分だけ髪がごっそり無くなっていた-。

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