「うっかり」と「しっかり」
こんにちは。
今日は「うっかり」と「しっかり」について書きたいと思います。
わたしは、人の5倍くらいうっかりしている。
うっかりしていることを知っているから、
何か作業をするときは気を張って、せめてしっかり作業をするようにしている。
しかし、最近気がついたのだ。
気を張って「しっかり」していたからといって、
「うっかり」がなおる訳ではないということに。
私がうっかりしちゃうときは、たいてい、何にも考えずに、手や身体が動いている時である。
しっかりすると、心はぴーんと気を張って疲れるし、疲れて頭が働かず、結果、うっかりしちゃうっていう流れ、な気がする。
「うっかり」しちゃうから、せめて「しっかり」しようとしても、
「うっかり」と「しっかり」は繋がっていないので、
意味がないし、気を張って疲れちゃうだけなのかも。
中学、高校と割りと厳しい部活に入っていたから、根性論というか、がんばる姿勢とか、真剣に取り組むこと、というのを見せないと!と思ってしまう節がある。だから、「しっかり」しようとしてしまうのだ。
がんばって、自分の性格とか、人柄を愛してもらえることも、すごく嬉しいことだし、有難いことだけれども、
仕事、作品などを愛してもらうことはもっと、すごく大切なことだ。
だから、わたしが「しっかり」しようとしていようと、していまいと、「うっかり」をなおすことが優先なのだ。
「うっかり」の改善策として、「しっかり」しようとする私の考え方は、悪くないと思う。
でも、ベストでもないんじゃない?
何か作業をするとき、マインドは何でもいいから、いい仕事ができるようになりたいな。
うっかりな自分もしっかりな自分も認めたい。
じゃあ、また。