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オワコン世代の末路~

いま各方面で話題になっている切腹とか自決とか江戸時代のような時代錯誤表現言葉が物議を醸しているようです。

まあ、実際にそれを再現してどうのこうのというリアルじゃありませんので、問題にするほどのことじゃありませんが、そんなことを誰が云ったか、というのもキーポイントのような気がします。

説明するまでもありませんが、成田悠輔さんが、あちこちのYouTubeで無差別に吹聴発言したので、その影響が大きかった、ということでしょう。

これを、そこいらのお笑い芸人が、いったところで誰も相手にしませんが、東大主席卒とかイエール大プロフェッサー、とか日本人が特に好きな目もくらむ学歴のオンパレードの持ち主が成田悠輔さんでしたから、そうなったのです。

■成田 悠輔(1985年 - )履歴データ アメリカイェール大学助教授 日本で半熟仮想(株)代表
内閣総理大臣賞・オープンイノベーション大賞・
MITテクノロジーレビューInnovators under 35 Japan・KDDI Foundation Award貢献賞受賞
研究者~「社会的意思決定アルゴリズムをデータ駆動にデザインする手法」を開発し多分野の学術誌・学会に査読付学術論文を出版
イェール大学アシスタント・プロフェッサー、一橋大学特任准教授、東京大学招聘研究員、専門はデータ・アルゴリズム・数学・ポエムを使ったビジネスと、公共政策の創造とデザイン
教育東京大学卒業後(最優秀卒業論文大内兵衛賞)
マサチューセッツ工科大学(MIT)でPh.D.を取得
共訳書(学生時代)『ゲーム理論による社会科学の統合』
その他、報道・討論・バラエティ・お笑いなど様々なテレビ・YouTube番組の企画や出演など  
--ウイキペディアなど、かき集めた情報

そんな人がテレビでなくYouTubeで、いつもの相棒(ひ)と好き勝手にいうもんですから、そりゃダレだって凝視しますよね。

圧巻が、かの田原氏に向かって、「引退しろと」(したらどうですかと柔和に)、直談判するに至っては、世も末(言語道断) 、というくらいの衝撃がありましたが、よくよく考えてみれば、そんなことは皆が遠巻きに思っていたことで、ネコ(この場合は手負いの雄ライオン)に誰が梵鐘をぶら下げるか、という話しだったのです。

それでいったら新聞テレビメディア界(ネット除く)含めて「拍手喝采」なんですが、ここにきて反対論の「すこし言い過ぎじゃないのか」というグレー色クレーム(匿名)が出てきた。

アアア アアア~~~~~~~~~~~~~~

(逆説論でいったら、仮にそれが適ったら本人田原氏が切腹引退して、その開いたポストに誰が収まるか、という話しですよね。その対極ポスト成田悠輔さんじゃ「羽柴秀吉」らしくないし、かといって滞在中の織田信長を狙った家臣の明智光秀の目論見とは、異次元だし、古参「家康」というタイプでもない)。
だから現況テレビメディアは家宝の「名刀」として床の間(今どき家にはそれもない)に飾るしか方法がない、という扱いしかなく、また、それから逸脱できない業界は、一家心中の憂いを抱えていると断言しても文句はないでしょう。(もしいたら、その人は懐に辞表を用意している)。

もっと大言壮語するなら、昭和の「田中角栄」はなぜ失脚したのか、という問いに「ロッキード社から贈収賄」をしたからという間抜けな返答するメディア新人がいたなら、取返しのつかない未来図が、そこに描かれている、という認識をせざるを得ない。

とどのつまり、だれがそれをやったとしても、今どき儒教的(三先年前中国)思想を金科玉条のごとき、信じて疑わない国民性ですから、煮ても焼いても食えない。だったら「フランパンアワ踊」という手もないことはないのですが、いかんせん江戸時代に、それはないので、そもそも成立しない。

そうなんですよね、いつものメディア争論点の発端で、まず焦点フォーカスが定まっていない。誰が切腹する罪を負っているのか、という犯人がまずいない。
勿論成田氏が云っている被疑者は明白ですが、「それはこれこれこういうわけだ」と断言している。けれど実行しろとは云っていない(実際箴言した破格さ)。あくまで仮説であり、これまでの時間スパンでいったら、その化石的論理で、メディアを圧しているのは、好のましくないと提案しているだけで、「白装束」を用意したわけではない。
それをさも、白黒幕を張った石桟敷場に三方を用意してた上に脇差を載せ介錯人「子連れ狼」の「拝一刀」まで用意するという、サドマゾ設定は、やはり時代劇の影響というのは多いのでしょう。

画像 https://www.sukima.me/book/title/BT0000282487/


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まあ、いつもの社会的常套手段ですが、それを云うべき本人(論破クレーム反論者)たちは、その成田悠輔さんの学歴と同等か、またそれ以上の資格保有者じゃないと、反論できませんよね。(のべつまくしたてる輩はどこでもいる)

で、その同等の学歴をもった日本人が外にいるか、という話しですが、実弟もいますが、やはり同等にするにはやや多少欠ける、と判断されますよね。

何時か見ていたYouTubeで、その二者対談をしていて思わず本音がでてました。

文藝春秋動画サイトの対談で「先崎彰容」ホストの相手に成田悠輔さんが対談として登場、その様子を見ていて、思ったことです。

成田悠輔×先崎彰容 「『22世紀の民主主義』に希望はあるか」対談の冒頭で、先崎彰容氏が、思わずいった成田悠輔さんに放った言葉が、「いま売れてる作家」に対する社の扱いがまるで違う、という本音でした。近著『22世紀の民主主義』。

そんなことなど類推すると、玄人中の玄人の人が垂涎する成田悠輔さんのスタンスは、絶対的であると感じたものです。(一種崇拝に近い)

ただ、その相手が玄人であっても、一歩、ラインを外して、社会一般レベル(世にいうバカ)まで下げたら、その正論は正しくなくて「かつての論客に今は老いぼれ長老だとしても、それは失礼で礼節をわきまえない行為」だと一石を投じた、とおもっているようですが、所詮匿名であって、そこに署名サインはしてないはずです。(云っているのは同業メディアで内部告発的)

その成田悠輔さんの動画また、サイト記事、そして著作『22世紀の民主主義』(999円)を読みましたが、その思案とか諸々がよく理解できます。

そんなことで反対する人は中身また成田悠輔さんの本質を理解しないで、ただ儒教的(三先年前中国)思想そのものの教え、を盲目的に使っているとしか思えません。※儒教的(三先年前中国)思想、それが好いこともあり否定論ではない。


「高齢者は集団自決」成田悠輔氏発言を“例え話”と笑っていられない理由
2023/1/19(木) 6:01配信 ダイヤモンド・オンライン

成田悠輔氏の発言で「尊厳死解禁」に向かうか
 「そういえば最近、田中さんのところのおじいちゃん見ないわね」
「あら、知らないの?昨年末にボケが進んでもう会話も成立しないくらいになっちゃって。家族みんなでよく相談して結局、尊厳死されたそうよ」
「なんか最近、尊厳死を選ぶ人が増えたわね」
「昔、えらい先生が“高齢者は集団自すれば良い”なんて言ってボロカスに叩かれたことがあったけれど結局そうなっちゃったわよね」

 ―そんな世間話がいたるところで聞かれるような時代が、近い将来にやってくるかもしれない。
 イェール大学アシスタント・プロフェッサーの成田悠輔氏の「高齢者は集団自決すれば良い」という発言が批判を浴びている。これに理解を示している人もかなりおり、「尊厳死解禁」へ向けた議論が一気に進んでいく可能性もあるからだ。
 ご存じのない方のために事の経緯を説明しよう。成田氏はさまざまなメディアや講演などで、高齢化社会への対応策として高齢者の「集団自決」「集団切腹」を繰り返し主張してきた。例えば、21年12月の『ABEMA Prime』ではこんな持論を展開している。
「僕はもう唯一の解決策ははっきりしていると思っていて、結局高齢者の集団自決、集団切腹みたいなものではないかと……」
 その具体的な方法のひとつとして成田氏が挙げているのが「尊厳死」だ。22年1月にNewsPicksで配信された動画でも同様の主張を繰り返して、こんな近未来を予想している。

「安楽死の解禁とか、将来的にあり得る話としては安楽死の強制みたいな話も議論に出てくると思う」

 これを受けて、「発言内容の全体を聞くと、納得できる部分はある」「表現は乱暴だが、見解はまとも」など成田氏の考えを支持する声も少なくないのだ。高齢化が急速に進んで、現役世代の社会保障負担が重くなっている日本では今、「老害」への風当たりが非常に強くなっている。若者世代が貧しいのは、高齢者が社会の第一線に居座り続けているからだ、という「世代交代」を望む声も多い。そんな高齢者への「ヘイト」が高まっている中で、「米有名大学の経済学者」という極めて権威的なインテリが、「高齢者は集団自決せよ」と主張すれば一気に「尊厳死解禁」議論が進んで、あれよあれよという間に関連法案が通過なんて事態も起こり得る。
 「人の命に関わる法律の議論がそんな簡単にホイホイ進むわけないだろ」とあきれる人もいるかもしれない。あるいは、「成田氏は世代交代のメタファーとして集団自決って言っているだけなんだから、そんなに目クジラを立てなくてもいいのでは」と冷笑する人もいるだろう。

 ただ、歴史を振り返れば、そうも笑っていられない。

悪法・「優生保護法」はなぜ成立したのか
 日本人は「ムード」に流されやすい。社会不安が高まっているところに、権威的な肩書きを持つインテリが溜飲を下げるような主張をすると、それに飛びついて世論が一気に傾くということが、これまでも度々起きている。 

 それがどんなに過激であっても、どんなに非人道的なものであっても、知識人から「日本の未来のためだ」と説明されると、「そうだ、そうだ」と国民も納得して、法律もサクサクと成立する。そのわかりやすい例が、「世紀の悪法」として知られる「優生保護法」だ。1948年に成立したこの法律はその名の通り「優生思想」を色濃く反映しており、「総則」にも「不良な子孫の出生防止」が掲げられていた。そのため、約1万6000人にも上る障害者が不妊手術を強制的に受けさせられた。

 終戦から3年、「基本的人権の尊重」を掲げた新憲法が制定された日本で、なぜこんな非人道的な法律がすんなりと認められたのかというと、多くの国民が納得したからだ。では、なぜ納得していたのかというと、権威的な肩書きを持つインテリたちが繰り返し繰り返し、「日本の未来のため」と主張をしてきたからだ。

● 知識人が全国で触れ回っていた「優生思想」

 実はこの法律ができる15年くらい前、日本では「優生思想」が空前の大ブームとなっていた。さまざまな知識人が「日本の未来のためには、障害者や犯罪者は子孫を残すべきではない」と主張をしていた。その論客の代表が、「朝日新聞社」の副社長だった、下村宏氏だ。逓信省の役人としてベルギー留学後、台湾総督府勤務からマスコミに転職した下村氏は、今でいうところの、“テレビ番組に出演する文化人コメンテーター”のはしりのような存在だった。ラジオ出演をしたり、全国を回って「日本民族の将来」という題目で講演を行い、国際情勢、そして「日本の危機」について説いて回った。そんな下村氏が、これからの日本で最も重要だと主張していたのが「優生思想」だ。1933年に児童養護協会が出した「児童を護る」の中で、こう持論を展開している。「私は今日日本の国策の基本はどこに置くかといへば、日本の人種改良だらうと思ひます。この點から見ますると、どうも日本の人種改良といふ運動はまだ極めて微々たるものである。それでは一體その他の改良といふことは日本ではやらんのかといへば、人種改良の方は存外無関心であるが、馬匹改良はやつて居る。豚もだんだん良い豚にする。牛も良い牛にする。牛乳の余計出る乳牛を仕入れる」(P.8)

 犯罪者や障害者が子孫を増やしていくと、やがて日本人全体が劣化していくので、そういう人々は「断種」するのがベストな選択だというわけだ。このような「国策」を唱えていた下村氏は1937年に貴族院議員になり、その3年後に政府は「優生保護法」の前身となる「国民優生法」を成立させる。「人種改良を国策に」と主張していた下村氏が、この法律の成立に大きな役割を果たしたことは容易に想像できよう。ちなみに、下村氏はその後、内閣情報局総裁となり「宣伝」を担当して玉音放送にも関わり、戦後はNHKの会長になった。そして、ここからが大事なポイントだが、このような「優生思想を求めるムード」は戦後もしっかりと受け継がれたということだ。アメリカに敗れて新しい憲法ができたからといって、急に日本人の意識がガラリと変わることなどありえない。
 特に1948年くらいならば、まだ多くの国民は戦時中の人権意識を引きずっている。15年前に「日本の未来のためには、障害者や犯罪者は子孫を残すべきではない」という下村氏たち知識人のラジオや講演を聞いて「そうだ、そうだ」とうなずいていた人たちも当時まだまだ現役だ。

 そういう世論がベースにあったので、「優生保護法」のような非人道的な法律もすんなりと受け入れられてしまったのである。

「国のため」といえば残酷になれる日本人
 このような歴史の教訓を踏まえると、「尊厳死解禁」も我々が想像しているよりも早く議論が進んでいく可能性が高い。先ほども申し上げたように、今の日本は「老害」叩きのムードが高まっている。「障害者や犯罪者は断種すべき」という下村氏の主張に多くの国民が賛同して一気に議論が進んだように、「高齢者は集団自決すべき」という成田氏の主張にも、多くの国民が賛同して一気に議論が進む「土壌」は既に出来上がっているのだ。

 特に日本人は「日本のため」という話を持ち出されると弱い。「集団のためには個人が犠牲になる」という思想教育を幼い頃から徹底されているので、「日本のため」と言われたら、自分の高齢の親にさえも「自決」を迫れるような残酷さも持ち合わせている。その残酷さの最悪の形が「集団自決」だ。ほんの80年前、我々は「日本のためにここでみんなで死ね」と命じられて本当に実行した。洞窟に隠れて泣き声が米軍にバレるという理由で、我が子の首を締めて殺した親もいる。それは決して「狂っていた」からではなく、すべては「日本のため」である。日本のためには自分を殺すし、家族も犠牲にしなくてはいけないとインテリたちも説いていた。そんな「ムード」に屈して、誰もが冷静な判断力を奪われていたのである。「高齢者の集団自決」などあり得ないと笑う人もいるだろうが、我々は民主主義の社会になってから、「障害者への断種」を強いる悪法をつくった前科もあることを忘れてはいけない。

 気がついたら、高齢者を安楽死へ促すような法律ができていても、おかしくないのではないか。
 (ノンフィクションライター 窪田順生)



成田悠輔サイト



関連資料
■森嶋 通夫(世界的経済学者) 資料
レオン・ワルラス、カール・マルクス、デヴィッド・リカードの経済学の学説史研究である。
数理経済学者としてレオン・ワルラス、カール・マルクス、デヴィッド・リカード等の理論の動学的定式化に業績を残している。
最も影響力を持つ研究はワルラス理論だが、マルクス理論を数理化させた「数理マルクス経済学」を手掛けている。弟子の小室直樹によれば、森嶋はノーベル経済学賞の候補として何度か名前が挙がっており、最も受賞に近かった日本人だという。
森嶋の経済学が注目された理由は、アメリカの経済成長理論は一部門または二部門を扱うモデルに過ぎなかったが、森嶋とヒックスは多部門セクターを扱う産業全体に対する一般均衡分析を動学化したことにあった。

幼少期から正義感が強く、差別を嫌っていたエピソードとして、高校1年の夏休みに北京に住む父親を訪ねたときの列車の中での出来事がある。

著作も多く、専門的な経済学書の他に『イギリスと日本』『なぜ日本は「成功」したか』などの日本社会論・『自分流に考える』『サッチャー時代のイギリス』などの政策評論など幅広い。1979年には、専門外の分野ではあるが、関嘉彦との間で防衛問題論争を行った(赤旗・白旗論)。

1970年の日経賞受賞を辞退した。価値自由論の立場から、新聞社は報道の自由の原則から、文化の内容に立ち入りその優劣の判定を行うべきではないとの信念からであった。
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0119尾上一刀

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