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グレタ・トゥーンベリ報道.B(12/24)

「グレタ・トゥーンベリ報道.B」2019年12月24日 について

この年、グレタ・トゥーンベリの話しに終始した、というのが実感としてある。日本から遠く離れたスウェーデン環境活動家の訴える二酸化炭素地球温暖化は、下記リンク記事でも著しているように、「批判の嵐」の渦中に放りこまれ賛否両論が拮抗して、世間はいったいどちらか正しいのか、という混沌状態に陥った。

それから数ヵ月たった今頃の風聞では、グレタ説が支持された、ということではないが、比率としてグレタを評価する論評がやや上回ったか、という推移のようにもとれた。

ニューヨークで行われた国連気候行動サミット(2019年9月23日)、環境活動に取り組み始めたばかりのグレタ16歳が世界的指導者たちを前に発言した。この様子がソーシャルメディアSNSで拡散されグレタは一夜にして時の人となった。ときあたかもノーベル賞時期と重なり、平和賞下馬評ベットのトップにあげられたことは、当然のように思われた。これもある意味では集団的バイアスに罹患した現象ともいえる。

同じ女性活動家で ミャンマー、アウンサンスーチー、パキスタンのマララ・ユスフザイなどいるが、それらの足跡と比較されてしまうのは避けられない。

そうした危惧はないことはない。グレタの行動では、「自分の子ども時代は大人によって失われたと」彼女は訴える。それに付け込んで批判者の “生贄” にされてしまうような状況もすでに起きている。日本のSNSサイト、コメント欄は、その罵り言語のオンパレードで、いったいいくらもらって批判文を書いているのか、と勘繰りたくなるような執拗さと強化アピールで、むしろそうした定型パターン言語が並ぶことで、「火消役」が暗躍していると推理される。いずれにしても確証はないことだが。

「Olympic Destroyer」マルウェア
http://blog.livedoor.jp/raki333/preview/edit/c5c0cf3d5abbac79b374b828fbd065e2 参照

冬至とクリスマスと年末と、カレンダーは変わっても、地球温暖化二酸化炭素排出が激減する、世界各地で起きているメガクラスの地震風水害、大規模山林火災などがピタリと止まることではなく、このまま推移していけば、中東の人種的迫害爆撃は持続し、膨大数の難民移動が繰り広げられ、この年の延長線上に未来は載っている。

いま報道されているニュースの出来事がすなわち日々の出来事ではない、そのことは十分理解しているが、毎日毎晩くりかえして見せられると、すべてはオオカミ少年化して、あたかもそれが人間の営みのように錯覚してしまう。

ひるがえって、超個人的なネットSNSの中身を覗くと、豊満飽食、その真逆症状の摂食障害に苦しむ(適正に処置しないと死亡)人も増えている。またGAFA的論理が横行し、すべては金で処理される、敵対者は買収によって組み込むなど、その露骨さは紀元0年ころの「ローマ帝国」そのものだ。 

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昨日、いつもの病院に行き、その薬を貰うのに専門薬局で座って待っている時間に、紙の新聞がテーブルに置いてある。まったく読む気もなかったが、久しぶりだし、現況把握のためにペラペラ捲ってみたが、タブロイドサイズの新聞が若干小さ目に見えたのは目の錯覚だろう。

肝心の紙面記事は定番様式で、三面記事とテレビ版が表裏になっている。今朝がた、社会ニュース配信についてはインターネットで見ているので、中身はそれと同様な記事が並んで書かれていた。その読んでいる新聞社の名が、何社か明かすまでもなく、似たりよったり新聞記事であるから、何々新聞と明記する必要もない。

うがった言説を云ってしまえば、それはすなわち国民性が反映した結果であり、こと新聞社に限定することな、無駄な争い(出る杭)はしないという不文律が徹底し、すべてを均一化するという日本化のように思えた。そうした土壌では当然「グレタ・トゥーンベリ」タイプが育つわけもなく、似たような何々もどき、似非コピー、パクリはいくらでもあるが、本物「シテ」が輩出することは滅多にない。あるとするなら巨大集団アマゾン河川上に舞う蚊のような群れであり、それは遠距離から眺めると、一人の戦国武将に見てしまうのは、どうしたって錯覚であるということを人間は信じない。


グレタ温暖化と、北極海海氷融解とトレードオフ 2019年10月18日

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