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いま、パンデミックかエンデミックか

社会に流布するニューススタイルのいろいろ

夜のテレビ放送で報道番組の数が増えたことは、それだけで日本国の社会リテラシーが上がった、と私は思う。

そのなかで毎晩見ているのがBS.TBSの「報道1930」だった。別にこれが特別いいという宣伝ではない。

2/13報道730ネット同時送信⇒https://www.bs-tbs.co.jp/houdou1930/ ゲスト #佐藤正久 (前外務副大臣)#国光あやの(衆議院議員)#寺嶋毅(呼吸器内科専門医)

そして連日連夜、「新型コロナウイルス肺炎」項目のニュースで時間を使い切る。まあ、それが仕事だから取材は勿論だろうが、かねてより気になっていたのがクルーズ船ダイヤモンドプリンセス乗員人数の正確な数だった。そして昨日のニュースでは「3711人」という乗船人数という正確な数が初めて出た。ま、それが当たり前の報道だが。

この「新型コロナウイルス肺炎」のニュース第一報(他局TVニュース)は、きわめて間の抜けた報道の仕方だった。チャーター機から降りてきた邦人二人に対して、多くの報道陣が詰め掛け(ほとんどマスクはしてない)、マイクを差し出して質問している。それはまったく「外タレ」インタビュー取材のスタイルであり、その邦人が何のために武漢緊急脱出したのか真の理由を、判っていない取材だった。当然そこでは本人たちの二人の顔も出し、オマケつき氏名も公表していたようだ。

それを観ていて誰もが危惧したのが、そこから風評が沸き起こる、という心配事だった。案の定、ネットではTV局批判意見が相次いで投稿された。

だからその時点で、いまの状況(2020/2/13)はまったく予想していなかった、ということである。では、その度合いはどうなのかといったら、大・中・小的なより分け(1)エンデミック、(2)エピデミック、(3)パンデミック、としている。最も規模が大きいものがパンデミックと定義しているが、今はそれに該当しない、という専門家の見解だ。

その基準は何かといったら、「14世紀に流行した黒死病も同様でわずか数年でヨーロッパ全体に広がり人口の60パーセントが死亡」とあるように、大規模疫病災害をパンデミックという括りにしている。それが前例。

人類の歴史のなかで最も致死率が高く、壊滅的な被害をもたらした感染病のひとつがペストであることは間違いない。541年から767年にかけて、ユスティニアヌス帝時代の東ローマ帝国を中心に流行したペストでは、当時の人口の50パーセント近くが死亡し、ローマ帝国の崩壊を早めたと考えられている。14世紀に流行した「黒死病」も同様で、わずか数年でヨーロッパ全体に広がり人口の60パーセントが死亡したと考えられている。この非常に感染力の強い病気はこれまで、ネズミの体内で細菌が繁殖し、その血を吸ったノミがその後人間の血を吸ったときに細菌を吐き出すことに関係があるとされてきた。つまり、害虫や害獣の急増によってペストが発生し、継続したと考えられてきた。ところが、17世紀に英国の小さな村で起きた感染に関する最新の分析は、これまでの考えが疑問を投げかけることになった。英国中部ダービーシャー州のイーム(Eyam)村では、村の仕立て屋に、ノミの湧いた布がロンドンから持ち込まれたことでペストの感染が始まったと考えられている。村民の死は1665年9月から1666年10月まで続き、数百人が死亡した。この村は、村全体を隔離するという、当時ほとんど前例のない、注目すべき手段を講じ、孤立状態で生活したことで有名だ。https://wired.jp/2016/05/28/plague-village/

現在、それと比較して云々らしい。しかしそれと今では、「世の中」のインフラが大幅に異なっている。また当時の情報伝達方法も、かなりスローであったし、その流行っている病気が何か知らないまま罹患し、免疫の方法もないまま、じわりじわりと伝播したのが、その被害拡大につながったと考えられる。(現在は判っていながら止められないというジレンマ)

さらに言及するなら、初めに紹介した電波(またSNS)による近代ITコンテンツによる情報拡散がある。その中で云われる、「ことさら大袈裟に煽る」とした報道の仕方が、いいのか悪いのか、という意見が出ている。 おそらくそのことは、意図的にそうしなくとも、報道ニュースというのは、「煽る」ことが前提で多くの人に知らせるというタスクがある以上、止む得ない。そんな観点でこの「新型コロナウイルス肺炎」を客観的に観察しても「パンデミック」状態にある、と私は見ている。

というのは、世間が社会の人々が心理的精神的に、どのくらい感心をもち、それに具体的に対応するか、という「ディフェンス」が必要であり、またそれをしないと身の危険を感じる、という驚異感覚をそれらは与えている。と捉えれば、その過去のデータ「一町村」消滅規模とおなじ精神的圧迫であり、パンデミックと呼んでもいい。しかしながら「世界標準規格WHO」の枠がある以上、それに従うのが民主国家ということなんだろう。

同時に今回、クルーズ船「ダイヤモンドプリンセツ号」3711名(2/13)の客員、乗務員の下船強制足止め、という水際作戦がとられた。それは時間が経つにつれ、収容人数の検疫が間に合わないという事態にいたり、船内感染という二次災害が問題となった。こうしたことも過去には起こり得なかった疫病感染として注目される。

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そんな緊迫したニュースをよそに、これまた、「常識の逸脱」を絵にかいたような事故があったので、それを一緒に載せて比較検討してみたい。(もともと、それらはリンクもしないし、場所も遠方だし関連性はまったくないように見えるが、断定はできないがそれを放置しておくと人類は違う方向に進む、という危惧観測があるので提起してみた)。


※このニュースに関しては別項で新たに記述することにした。


流氷は乗るものじゃない? ツイートが話題に ツイートは次のような内容で、5000件以上リツイートされています。

大学生が流氷に乗って流された。少しの風でもかなり動く。風向きがずっと南だったら沖に流されっぱなしになるところ。あくまで運がよかっただけで、絶対に流氷には乗るな。落ちたらすぐに海面が氷で塞がって助からない。
地元の大学生が流氷に乗って流されたことがきっかけでした。

NHKによると、12日午後2時半ごろ、網走市で大学生が接岸した流氷に乗って写真を撮っていたところ、流氷ごと約15メートル沖に流されました。

約30分間沖合に流されたものの、海から陸に向いた風になったため流氷は波消しブロックに接岸し、自力で戻ることができました。大学生は友人と2人で海に訪れましたが、一人だけが流氷に乗り、けがはなかったといいます。ドライスーツは着用せず、普段着姿だったそうです。流氷から転落すると命の危険もある=Getty Images

北海道の海は氷点下 転落すれば命の危険も
網走では、海岸に流氷が接岸する「流氷接岸初日」を11日に迎えたばかりでした。観光で訪れ運良く流氷に遭遇できたら、乗ってみたくなる気持ちは分かります。しかし、「軽い気持ちで流氷に乗るのは絶対にやめてほしい」。網走海上保安署の担当者はそう呼びかけます。

真冬の北海道の海と言えば、想像しただけでも凍えてしまいそうですが、この時期には氷点下となることもあります。もし、転落してしまえば、流氷が海面をふさぐことも想定され、命の危険にさらされます。

網走海保によると、陸から見た流氷はすべてつながっているように見えますが、実際は個々の氷が集まっていて、ワカサギ釣りで湖面が凍るのとは状況が異なるというのです。

流氷は簡単に流される 沖に連れていかれたら戻れない
さらに、注意したいのは今回のケースの様に、流氷が簡単に流されるということです。流氷は海面に浮いているだけなので、沖へ向かう風が吹けばあっという間に沖合に連れていかれてしまいます。今回のケースは再び陸向きの風が吹いたことが不幸中の幸いだったと言えそうです。

また、気温が上昇することで、氷が溶けたり割れたりして海中に転落することにも注意が必要です。      

インバウンドにも注意を呼び掛けるポスター =網走海上保安署提供

これなど、テレビで同じような映像テレビがあったので、それを真似したのだろう。もちろんテレビ撮影は、その後方に数人のスタッフがいて、氷上一人ということはあり得ない。

その基本的、最低限の「掟」(生命の維持)をまったく理解してないという大学生は、数年前の「コンビニショーケース画像配信」で炎上したアレと同次元の感覚なのだろう。

それによって社会がどう見るか、という一方的なアピール(自己満足)しかない。それは昨今のyoutube配信の過激投稿も同等で、結果的に人の耳目の的、世間がアッと驚く対象(スター性)の風紀紊乱(ふうきびんらん)を意図的に作りだしているとしかいいようがない。

とりもなおさす、それらは一攫千金的な、労せずしてSNSで簡単に金を手に入れる、という金銭オンリーの思考とも考えられる。

たまたま、そのことを言い当てていた、このnote内記事があったので、それを併せて紹介してより理解度を深めてみようと思う。また、このnoteサイトも、ひっきりなしの投資勧誘、賭博要素関連記事など、多数掲載されているが、先に挙げた社会思想がSNS世代の若年層に蔓延していることは否定できない。



#メディア #cakesコンテスト2020 #ミレニアル世代 #business

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