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どっちも、これっ本気でやってるの、どちらも

群分類聚  源平藤橘 変じて 阿鼻叫喚

群分類聚(ぐんぶんるいじゅう)異なるものを分け、同類のものを集めること。聚は、集と同じくあつめること

源平藤橘(げんぺいとうきつ)源氏・平氏・藤原氏・橘氏をさす。 「下学集」に「日本四姓は源平藤橘、是なり」とあり、総称して四姓(しせい)ともいう。 平安時代に天皇に近い子孫や外戚(がいせき)として勢力をもったところから、代表的氏名と考えられるようになり、後世に作られた系図の多くが先祖を4氏に結びつける風潮をうんだ。

本姓(ほんせい)は、日本において、氏(同族血縁集団)を示す氏族名を指す。「本来の氏」という意味である。単純に姓(せい)とも言う。古代の「姓(かばね)」のことではない。
明治時代以降に家族集団名である「名字(苗字)」や「家名」のことを「氏」と呼ぶことが広まったために、これと区別の目的で「本姓」が用いられるようになった。中世以降、一般には、姓が氏と同じ意味を指すように変化しているため、「本来の氏」のことを「本来の姓」つまり「本姓」と表現した。

家族集団名である「名字(苗字)」や「家名」 ウイキペディア

これ、やりたくなかったのですが、アメリカ、トランプ連邦議会世界戦略議題をさておいて、国内日本メディア、ネット、SNSのオールキャストが、これ一色という異常事態を垣間見て、こりゃやっぱりなんかある、と思ってしまうのが人情でしょう。(その実、中身空っぽという異常常套手段)

それでよく、なぞらえるのが、本丸は別にあって、それをカムフラージュするためのスピン報道だ、とかいろいろネタいじりして、筋をバラバラにするという方法論です。で、アメリカでは、トランプ大統領が、その渦中の「JFK」暗殺ファイル関係記録記事(特シークレット)開示、というのがあって、もしかするとそれかという憶測も考えられますが、そんな煙はどこにもみあたらない。とするとそれのみか、だとしたらもっと救われませんよね。

まあ、これに関連してはその昔、フジと戦った堀江氏は、論陣を張ってもおかしくないので、その記事を掲載しましたが。

もう一つ、フジ絶頂期を支えた一人のライター高田氏が、いみじくも「本当せつないね」と吐露しましたが、今回の騒動すべてを云い尽くした表現だと思います(それがテレビメティアにたいする惜別文言か)

これに参加している(自分も)全員が、盛り上がって騒ぐほどに、内外に醜聞をさらすという千年来の歴史踏襲だと責任転嫁しているうちは、正真正銘ガラパゴスをスマホ認証したようなものです。

堀江貴文氏、大荒れのフジ会見を批判「これでは問題の本質は変わらない」
2025年1月27日 21時18分

 実業家・堀江貴文氏(52)が27日に自身のX(旧ツイッター)を更新し、この日開かれたフジテレビの“大荒れ”会見について言及した。

 堀江氏は「前回のフジテレビの記者会見を受け、今日27日にフジテレビが再び記者会見を開催した。会見はこの原稿を書いている最中もまだまだ続いているが、結局フジテレビの会長・社長が辞任して幕引きしたいという予定調和的なものであった」とポスト。

 また「実質的なフジ・メディアHDの権力者である日枝久氏はそのまま居座ることになる。社員からも企業体質改善のために日枝氏を筆頭とした役員の総入れ替えも提案されていたわけだが、それも全く関係なし。これでは問題の本質は変わらないだろう」と批判した。

 「このような対応をすれば大丈夫だと思っているのだろうか? これでスポンサー離れがこれで止まると思っているのが甘いとしか思えない」と私見をつづっていた。

スポニチアネックス


高田文夫氏が語ったフジテレビ“暗黒期” 現在の騒動について「言いたくてしょうがねえけどさ…」
2025年1月21日 16時16分 スポニチアネックス
 放送作家の高田文夫氏(76)が20日放送のニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」(月~金曜前11・30)に出演。自身がバラエティー番組を手掛けていた時代のフジテレビについて語る場面があった。

 高田氏は番組冒頭で、タレント中居正広(52)の女性トラブルで、社員の関与が報じられているフジテレビについて言及。「放送人としては、なかなか言いづらい問題だよね、フジテレビ問題ってのは。言いたくてしょうがねえけどさ、ここだってフジサンケイグループだからね」と前置きし、アシスタントの松本明子と旧フジテレビ社屋(新宿河田町)時代を振り返った。

 「夜のヒットスタジオ」「オレたちひょうきん族」など、数多くのフジテレビのバラエティー番組を担当。70年代から毎日フジテレビに通っていたといい「知り合いのディレクターの机で台本を書いていると、別のところから来て“高田悪い、ちょっとこれも書いてくれない?”って。ずーっと朝まで」と頼まれたと振り返った。

 また、当時のスタッフ陣の名を挙げ「まだフジテレビが落ち込んでる時だもん。80年に漫才ブームが来てワーッとなるんだけど、その前の10年なんか“暗黒”だから。暗黒のうちは俺1人で書いてたんだから。肩も壊れるよ」と回想。

 あまりの忙しさのため「先生、廊下でベンチで寝てたって。もう家に帰れないから」と松本が振ると、「各局だからね、TBS、日テレと。最後は山吹町に住んだんだもん。夜中でも原稿を届けて、直しに行けるようにさ。タクシー代ないから」と明かした。

 そして「あの頃を思い出して、本当せつないね。毎日のようにいたのにさ」とコメントしていた。

スポニチアネックス


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