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哲学者日本の系譜「田辺元」

田辺元(たなべ・はじめ、1885/2/3~1962/4/29)は、西田幾多郎とともに、多くの門弟を育て「京都学派」の基礎を築いた哲学者である。田辺元は、東京開成中学校長、鎌倉女学院校長を歴任した漢学者・田辺新之助とヱイの長男として、1885年(明治18年)2月3日、東京府神田区猿楽町に生まれた。

画像 □田辺元紹介 - 田辺元記念哲学会求真会

田辺元 史料アーカイブ~
田辺元は西田の助教授として,そして西田退官後は後継者として,西田幾多郎とともに京都学派の中核であった.
田辺は西田幾多郎の思想の最初の理解者の一人であり,当初,西田と新カント派の影響を強く受けつつ思索を続けたが,ドイツ留学中に親交のあったハイデッガーの思想を強く意識するようになる.帰国後は弁証法研究を開始し,へーゲル,マルクスの弁証法を越えるものとしての絶対弁証法を提唱する.
その過程で,西田批判を開始し,さらには,絶対弁証法に基ずく独自の哲学体系,田辺哲学を構築し始める. その田辺哲学の最初のものが唯物弁証法との対峙をも意図した社会哲学「種の論理」(昭和9年)である.種の論理の後,田辺哲学は自らの思想と戦争との関係への反省から始まった「懺悔道の哲学」を経て,ハイデガー哲学との対決を意図する「死の哲学」にいたる.田辺の思想には数学や物理学から発想したものが多く,西谷啓治は田辺哲学を「数理と根をひとつにしたところからでている」と評した.

その意味で,晩年にいたるまで,新カント派マールブルグ学派の「科学の哲学」を継承し発展させていたともいえる.しかし,その思想のテーマは,数学・科学を遥かに越え,認識論から,弁証法,心身論,実存哲学,政治,社会,さらには宗教,文学をまでカバーしており,また,東洋の思想や実存哲学が強く意識されている.田辺の思想は,
この広がりと,その「学」への徹底的指向によって,日本思想史において特異な強い光彩を放っている.西田哲学が現在も盛んに研究され,また,広く読まれているのに比べ,田辺哲学は,ほぼ忘れ去れていたが,没後50年を経て,その見直しが始まり,その現代的な意義も理解され始めており,京都学派の「もう一つの焦点」として西田哲学研究に比べられるような研究の展開が期待される.それは,西田哲学という京都学派の焦点の真の理解に欠かせぬことであろう.

田辺には子供がなく死去の際には既に夫人も亡くなっていたので,その遺産の殆どが群馬大学に寄贈された.脳軟化症発病後,前橋の群馬大学病院に入院し,そこで亡くなったからである. 田辺の蔵書中,京大文学部図書館になかったものだけは,京大に寄贈され京大田辺文庫となった.
そして,それ以外の蔵書と,原稿,日記,講義メモなどは,北軽井沢大学村の彼の住居(元は夏の別荘)ごと,群馬大学に寄贈された. 田辺の弟子たちは群馬大学に,田辺住居跡に哲学の研究所を設立することを提案したが,
これは実現されず(群馬大田辺文庫の弟子達と群馬大の交渉の記録が残されている),現在,田辺の旧宅は群馬大学の研修所となった. 母屋は立て替えられたが,書斎は田辺元記念館として保存されている.
京都大学田辺文庫には約千五百点の蔵書が収蔵されており,群馬大学田辺文庫には,書籍(雑誌含む)約六千点と,日記,ノート,原稿,講義準備メモ,アルバム,その他の史料が収蔵されている. 京大への一部書籍の分割寄贈なども含め,すべて,田辺の弟子たちと群馬大学によって遺品の整理が行なわれたため,史料の散逸は全くといって良いほどないと思われる.
現代史の史料の多くが遺族に相続され,その結果,貴重な史料が遺棄・紛失・散逸して失われてしまうことが多いなかで,この史料群は,その成立の経緯から,稀に見る高品質の遺稿集となっている.

また,蔵書への書き込みが少ない西田に比べ,田辺の蔵書書き込みは質量ともに豊かである. 一例として, 本アーカイブ初代代表の林晋が,種の論理とブラウワー直観主義連続体論の関係を最初に発見した際の書き込みを示す
: Heyting, Arend. Mathematische Grundlagenforschung. Intuitionismus. Beweistheorie. Springer, Berlin, 1934,京大田辺文庫所蔵より.
内容については,「日本哲学史研究」2010年9月号,林晋『「数理哲学」としての種の論理』や,「思想」2012年1月号の同じ林の論文を参照して欲しい.この書き込み史料は,京大田辺文庫には原稿,メモなどの手書き史料はないが,京大田辺文庫の書き込みの調査を行なうだけで,手書き史料調査ほどの貴重な未発見の重要な情報が得られるということの実例なのである.これらのことは,林晋「情報の宝庫,二つの田辺元文庫」,岩波雑誌「思想」,2012年1月号,で詳しく論じているので,これも参照して欲しい.

散逸したままの往信 望まれる悉皆調査
西田文庫などの遺稿と比較して,二つの田辺文庫の遺稿は圧倒的な情報量を持つ.しかし,書簡となると事情が逆転する.西田の往信,つまり西田による書簡,の多くが岩波書店により収集され,西田全集で出版されている.ところが,田辺の往信は, 野上弥栄子,唐木順三との往復書簡集に掲載のもの,また,後で触れる竹田篤司を代表とする科学研究費プロジェクトの報告書に掲載された下村寅太郎宛の書簡が公表されているだけである.それ以外の田辺による書簡となると,その所在を把握する努力さえなされていないのである.西田とともに京都学派の中心を担った田辺の書簡は重要な文化遺産であり,それについての情報収集の努力がなされるべきであろう.

往信の状況はこの通りである.一方,来信,すなわち受取った書簡となると,興味深いことに,ここでも西田と田辺で状況が180度異なる.西田は,来信の保存に拘らず,むしろ積極的に破却したことが知られている.一方で,田辺は来信のほとんどを丁寧に保存したものと思われる.その田辺の来信は,下村寅太郎が引き継いだ.そして,下村の没後に,その遺稿集を調査する科研費プロジェクト(竹田篤司代表)の一環として,島雄元により三千を上回る来信書簡の完全なリストが作成された.そのリストは,島雄元: "田辺元資料の整理報告(1)(2)(3)"(長岡工業高等専門学校研究紀要. 35巻収録) として出版され,同プロジェクトの報告書(国会図書館関西館などが保有)によっても出版されている.また,同報告書には下村宛の田辺の書簡が採録されており,田辺夫人から留学中の田辺へのものなど数通の来信が竹田篤司著『物語「京都学派」』に収録されている.

田辺の几帳面さからすると,おそらく,この下村が所蔵していた田辺宛の書簡は,田辺が受け取った書簡の内,彼の思想に関連するものの殆どすべてを含むものと考えられる.現在,この田辺来信書簡を含む,下村寅太郎遺稿集は,京都大学文学研究科図書館が貴重資料として管理している.西田の往信の場合,岩波書店は西田からの書簡の受信者の子孫に依頼し,その資料の画像を撮影をさせてもらい,それを元に全集に西田の往信を収録している.田辺の来信の殆どと思われるものが存在し,すでにそのリストさえ作成されているのである.西田書簡に対して,岩波書店が行っている努力と同じ努力を,下村遺稿集の田辺来信書簡すべてに対して行う悉皆調査を実施すれば,相当数の田辺往信を電子画像として収集することが可能ではないだろうか.

実際,田辺の書簡,往信は,そこここで保管されているのである.既に述べた野上,唐木,下村宛以外のものとしては,翻訳家鹿野治助宛の書簡35通が研究者により個人的に保管されており,当アーカイブでもそのコピーを譲り受けている.また,古書市場で売買されていた務台理作宛の書簡の内,二通が京大文学研究科情報・史料学専修により取得され,同研究科貴重書書庫で保管されている.また,神戸に木村久男に関連する田辺の書簡が存在することが,有田芳生氏のブログで報告されている.おそらくは,同様に多くの田辺元往信が,往信受信者の子孫により所有・保管されているものと想像できるのである.

田辺は現在忘れ去られた哲学者である.また,田辺没後50年の現在,受信を保管していると思われる,受信者の子孫たちも世代が変わり,その書簡の重要さの認識が薄れつつあると推測される.この様な状況から考えれば,特に,務台宛の書簡が古書市場で流通していたことからすると,田辺往信を記録するための悉皆調査は,将来の日本近代思想史研究のために,緊急かつ重要なのである.もちろん,これには膨大な努力と時間が必要とされる.また,資金の裏付けも必要である.本アーカイブは,現在そのような裏付けを欠くが,細々ながらも,この悉皆調査を開始する予定である.

また,下村所蔵田辺来信書簡リスト以外にも,田辺からの往信は存在するに違いない.実際,上記,有田芳生氏のブログで報告された書簡に対応する来信は,このリストにはないように思われる.同様に,このリストからは辿り着けない田辺往信は,少なくないのかもしれない.そのような書簡についての情報も収集しなくてはならない.もし,このページを見た方が田辺元往信を所有しておられるならば,あるいは,その存在をご存じならば,是非とも,本アーカイブまでご一報を頂きたい.

著作権と利用方法について 2014.10.05 更新
すでに著作権が切れてから久しい西田の場合と異なり,田辺の著作権は本アーカイブ開設時にはまだ有効であった.当然,個人情報の問題も,西田のケースより大きい.このため,当初は無条件の公開は行なわず,サンプルのみを公開し,田辺の著作権を保有していた田辺賞設置委員会が許可を出した利用者には, 本アーカイブ所有の全ての画像を提供する方針であった.その後,著作権が切れて2年近くが経過し,また,大きな問題もなく公開がおこなれて来たため,2014年10月より,徐々に問題のない資料を公開する方針となった.卒用論文,博士論文の評価下書きなどは今度も本アーカイブでは公開を控える.ただし,それらも群馬大図書館の許可をえれば同館で閲覧可能である.田辺史料は膨大であるため,公開は順次行うこととなる.また,田辺史料は,PDFファイル, JPEGなどの画像ファイルのZIPアーカイブ,および,史料研究用ツールSMART-GSによる利用を基本としている.その方法は,本アーカイブのマニュアルの田辺史料の項目を参照して欲しい.

史料一覧 (史料利用方法) 2015.07.25 更新
現在カラー画像やDSCファイル,翻刻を提供可能な史料の一覧である.下の表の行番号欄の背景が黄色のものは,PDFなどで全体をダウンロードできる.徐々に全公開する史料を拡大する予定だが,手間がかかるので,すぐには出来ない.公開されていない史料の利用を希望する研究者の方は本アーカイブに連絡を取っていただきたい.また,史料利用を希望する際には,混乱をさけるために必ず以下の表の史料番号で史料を参照すること.

また,田辺研究は常に進んでおり,このリストに掲示されていない史料も存在する.特に昭和9年講義録の翻刻は常に増えている.どのような史料や翻刻があるかは本アーカイブに問い合わせていただきたい.

全公開史料の作業予定: 0005(2014.10.05), 0022, 手帳

表の項目の説明:史料番号 この表における参照のための番号

群馬大文庫史料名 群馬大学田辺文庫和漢書目録 pp.139-147の 雑誌掲載論文, 原稿, 手帳, ノートでつけられている名称 群馬大文庫番号 同上での番号
GAIR 同じ資料がGAIRに収録されているか(有)否(無)か.
説明 史料の説明とサンプル画像.説明中の,全集「田辺元年譜」,とは田辺元全集第15巻p.477-490の田辺の年譜のこと.

※全数調査(悉皆(しっかい)調査)読み
全数調査(悉皆調査)とは対象となるものを全て調べる調査の事です。 全数調査は、誤差なく正確な結果が得られる反面、膨大な費用や手間がかかるという欠点もあります。 検索グーグル


note参考 西田 幾多郎


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